2012年10月11日木曜日

NC700Xで行く被災地回り⑥ 「被災地 なぜここに来たの?気仙沼」

書きたいことがいっぱいありすぎる…
でも それを書こうとしたら時間がかかる。
時間が経つと、忘れてしまう。。

忘れないうちに、書いていかないと…
この被災地回りブログを初めて もう6回目なんだけど
しかし、実はまだ 広島の自宅を出てから2日目なんですよね…
5日の全工程を書き終えるまで 何日かかるんだろうか…

さて、前回 気仙沼の「気仙沼 鹿折 復幸マルシェ」に立ち寄った事を書きました。
更に、最後の方ですが、何か重大な事を忘れ、思い悩むことになると
そこまで書きました。


気仙沼 鹿折 復幸マルシェを後にし、バイクで南下していると
すぐ、ありえない場所に、ありえないモノが ドカン!と見えてきます。
それには、「第十八共徳丸」と書かれています。

この写真を見て思うのは
左に僕のバイクを写しているのですが、テレビで見る思っていた以上に大きい船であったこと

このような船が、日頃生活しているところに押し寄せてくるなんて…
恐怖以外言葉が無い。

ふと、気づいて 周りを見渡すんです。

「海が見えない…」

どこから来たのか… こんなに遠く離れた場所まで こんなに大きな船を動かしてしまう
その津波の威力とは どこまでのものなのか…
想像するだけで、痛いです。 

いくつかの写真を置いておきます。






更に、バイクを走らせ、気仙沼の港の方に向かいます。
少し活気があるように見えました。
googleのストリートビューでは、散々な状況が写されていますが
人と言う生物は 生きるということで ここまで短期間に発展できるのか…
そう思わされる一瞬でした。

車が行きかい、人が笑いながら立ち話しているのが見えました。

しかし、少し中に入ると またさら地が広がっていました。
大型トラックが、砂埃を巻き上げながら たくさん走っていました。
(気仙沼赤岩港地区)

ちょっと、ここからはうる覚えで、一応メモと言うことで通ったルートを記す

赤岩港付近をバイクで走った後、行き止まりに遭い、
県道26号線を北上 多分紳士服コナカ気仙沼店で左折している
(38.893638,141.567931)

曲がった瞬間、あ・・・ ここは元気だ そう思った。
色々な店が並び 普通に生活しているのが見えた。

ここを通過するころ 丁度17時になっていた。

気仙沼バイパス 国道45号線に戻り
再び南下を始める。。

次の目的地へ走っていくわけだが、 とにかく土地勘が全くないもので
多分、次の目的地は あの伝説の女性アナウンサー職員がおられた南三陸の防災センターかな・・
と走っている訳だが…

そもそも どれくらい時間がかかるのか と言う問題と
日が暮れだしている と言う問題と
今日の寝床・・ と言う問題を解決しなければならない。

日が暮れてしまえは、南三陸防災センターを多分暗くて見ることはできない

なんでだろう この時、スマートフォンで調べなかったな…
電池がもったいなかったのかな…
明るいうちにひたすら走ればどうにかなると思ったのか…

なんだかんだ考えながら 国道45号線を走ってる。

国道を走り始めて
何分走っただろうか・・・
コンビニに寄った。 トイレを済まし 出たところ
あるお母さんが車から出てこられ声をかけてくれた

どこから来たの?? と
一連の話をしたら、お母さんが、なぜここに来たの? と尋ねてきた。

そうなんですよ…
実は、それを聞かれるのが一番怖かったりしたのです。

自分の中で、遊びじゃないのは分かってるし、分かってほしいのです。

でも、言い方を変えると 「見物」には、間違いないのです。
正直、後ろめたさも感じながら周っているのです。

お気づきでしょうか 私 このブログで、「被災地めぐり」という言葉を使っていないのを…
○○めぐり… 人それぞれに考え方は有ると思うのですが、○○めぐりと言う言葉は、観光地に使う言葉だと思うんですよ。

ここで、言いたい!
「被災地は、決して観光地では無い!!!」

僕の中での位置づけは、社会勉強 経営者としての情報収集と 自分自身の改革

自分の目で見て 自分で聞き、感じて 決して遠く離れた広島では感じることのできない情報を入手し、生活に反映させること

事件は会議室で起こってるんじゃない! 現場で起こっているんだ!
僕の会社の合言葉「Don't Think!! Feel!!」 考えるな! 感じろ!   だ!!

ただ、ボランティアをしに来たわけでもない。 ただ自分を変えたい そう思うだけで 被災地に来ているのだ。

だから、震災直後なんて申し訳なくて行けるわけもなく、1年半経って、ようやく こういう風に思っている人を
被災地の方々は許してくれるだろうか… そう思って、回っていたのだが…

いざ、単刀直入に聞かれると やはり心苦しい…

申し訳ない気持ちで、その気持ちをお母さんに伝えた。


『そしたら、怒られた・・・』



「なぜ、もっと早く来てくれなかったの??」 と…

このお母さんの言葉は、ものすごく意外だった。
また 後日紹介する 石巻フリーカメラマンの阿部さんもfacebookで怒っていたが、
少し、文章を使わしてもらいますが、
「被災地にきても、手を合わせない、車から降りるとハイチーズです。
被災地見学、何をしに、何を目的にくるのですか? 平気でタバコを捨てて行く、」

この文章を見て、僕も被災地に足を踏み入れる その動機は、こういう人たちと本音は変わらないんじゃないかな…
そう思っているのです。

人間の怖い部分です。

そのお母さんも その部分に関しては憤りを感じていたようです。

震災直後でも嬉しげに写真を撮りながら見物している人々がいたそうです。

実際に、そういう人を取り締まる部隊も組織されたそうです。

ただ、お母さんが言うには、顔を見ればどういう目的で被災地に入っているか区別できたそうです。

で、そういう話の中で、
「あなたは、自分の目で見たもの、感じたもので周りを変える能力を持っている 私はそう感じる
そういう人はね、ボランティアとか何かしなければ… と言う目的で来なくても良いの
ただ、見て帰るだけでいいの。 ただ 残念なのは 貴方みたいな人にもっと早く来てもらって
被災直後の状況を見ておいて欲しかった。 悪夢は薄れつつあるのよ」 と

嬉しいような、悲しいような言葉…

ただ、この言葉で、自分の何かが変わったのも事実

こうやって、単発ながらも へたくそな言葉でも どうにかして身近な人に伝えたいと ブログを続けているのも
この人との出会いがきっかけかもしれない。

震災が起こらないにこしたことはないが、
もし、僕に伝える能力が有るのならば… そう言えば僕は技能を分かりやすく伝える と言う仕事をしているのだが
そういう面で腕を上げ、更に影響力を持つ人間になれたのならば
自分の「Don'tThink!! Feel!!」を伝えていくことができるのではないか…
そう思える瞬間だった。

何より、被災地のお母さんに 今、自分が起こしている行動を 「許してもらえたこと」が
すごく嬉しかった。

1時間くらいコンビニで話をして、
別れ際、名刺交換をした。

このお母さん、ものすごく優しい人で、facebookでも紹介したけど
広島に帰ってしばらくして、「無事に帰られましたか?」と電話をくれたお母さん

よく聞くと 僕と同じ年の息子がいて、自宅に帰って娘と僕の写真付き名刺を見て ものすごく似ていると話をしたらしい
だから、他人とは思えなかったと…
是非、気仙沼に来た時には、私を訪ねてきて欲しい… 色々名所を紹介したいと・・

息子の事については、深く話をしませんでした。

ただ、とても優しいお母さん いつか必ず 伺います!!


お母さんとコンビニを後にし、また南三陸に向けて走り出す…
話し込んでしまったので、あたりはもう真っ暗…

このままでは、真っ暗のままで南三陸町を越えてしまう…
それは、非常にマズイ…

超えてしまったら、まず もう防災センターを見れない
少々辛い思いしても 努力してみなければならないと思った。

宿を探さなけれな… バイクで走り出す…

でも、本当に良い人だったなぁ…
⑤で出会った小野寺お姉さんもそうだし…
と、思い返している最中… なんか 不安がよぎった…

「小野寺お姉さんに 土産の代金払ったっけ…  え?  え?」

時系列で思い返す…

どう考えても 財布を出した記憶が無い…

土産物何品か と更に お茶まで頂いているのに… なんという事だ!!

今から 戻るか・・・ いや もうさすがに遠すぎる…
そもそも、被災地でお金を使う事 そしてそのお金をまた被災地の人に使ってもらう事が目的なのに
何やってんだオレ!!!

自分のダメっぷりにスゴイ落ち込む…

何とかして、お金を渡さなければ 目的を達することができない。
振込、現金送付… いろいろ考えた…
でも 多分 小野寺お姉さんの事だから 受け取ってくれないんじゃないかとも思う…

その前に、まず謝らなければ…

すぐ見つけたコンビニに立ち寄り、小野寺お姉さんの名刺と携帯電話を取り出す
出てきた小野寺お姉さんに
「多分お金払ってない… 本当に申し訳ありません…」
と謝ると 「え? そうだったっけ… 盛り上がりすぎてわかんなかった…」
と優しい声を頂いた。
その上、私も色々勉強させてもらったので 代金は良いですよ(^^) 
と・・・
自分の馬鹿さ加減に反省しきっきりで・・
いつか、お礼はさせて頂きます。 小野寺お姉さんの気持ちをありがたく受け取りました。

とても反省し、凹んでいた事件だったのですが、
なんと、この後 この事件が 新たな出会いを生むことになり
忘れられない思い出へと発展することは、まだこの時の僕は知らないのです。

話は、また旅に戻り暗い道中 必死に寝どころを探しています。
この時、まだ タイミングが良ければ 民宿、旅館ホテル なんでも1泊は泊まれたら良いな… と思っていた。
泊まって、ゆっくり体を休め、被災地周りの記録の整理とかできたらな… とか…

でも その考えは甘かった…

本当に 何にもない…

広島でいう 何にもない じゃない…

被災の影響で何にもないのだ…

しかも、道路も海抜が低い所はひどく荒れていて 街灯も無い
たまに プレハブでできたコンビニとかもある。

これは、まずいぞぉ 南三陸町に入ってしまうのではないか…
そう思っていると、小高い所に、ホテルらしき建物が… 3階建てで50m位の幅ののある建物
明かりも点いている。

やったぁ! 今日は ここに止まらせてもらおう! とどんどんそこにバイクを進めていくが
入り口を見て がっかり…

「シルバー○○苑」

マジかよぉ・・・ 泣きながらUターン…

更に走っていると
なんだか とっても不気味なところに出た…

まず、見えたのはスゴイ遠くに大きいホテル… これは間違いない! 喜ばしい事なのだが…
そのホテルが暗闇の中やけに目立つ どうも 海の小高い丘に建っているらしく 波にその明かりが反射してまるで
ホテルがさかさまになった状態で2つのホテルが見える・・・

でも、僕が今走っているところから少なくても5~6km離れたところなのに、
間がまるでブラックホールのように真っ暗…

陸と海との境も全く分からないし、街灯の一つも点いていない…

そして、その暗闇部分に入っていく…

直感した

「南三陸町だ・・・」

正直、ものすごく怖かった。 

暗闇の中、周辺に何かが有るのだけ分かる…

これは、ダメだ… 心が折れそうになる… 早くあの明かりが有るホテルを目指さなければ…

「街」であったであろう場所を通過し、また峠に入る 
しばらく走ると 有った!! 結構デカいホテル!
「南三陸 ホテル観洋」

高そうな雰囲気… でもこの際 関係ない… 今日はここで休むぞぉ!! とカウンターを探す

カウンターでのやり取り記録
「すみません… 部屋空いてますか?」
「申し訳ございません、本日満室でございます」
「近くに泊まる所有りますかね…」
「ここですと もう 気仙沼か石巻にしかございません」


落ち込みながらバイクに戻る…
今更気仙沼まで戻れない…

更に追い打ちをかけるように スマホの電池がヤバいことになっている
一つの方は、陸前高田で電池が反応しなくなったため、充電されているのか されていないのかもわからない状態に
仕方なくもう一つの方の予備電池を入れていたのだが、それがいつの間にかバッテリーを喰っていたのである。
なんか 便利なようで不便なツールだねスマホって…
裏でアプリが動いていたようで 画面は真っ暗なのにスマホ自体は熱を持っている。
まぁ、スマホが無くてもしばらくは下道を南下で昼間しか走らないので
福島県に入るまでに対策すればいいか… と言う事なんだけど…
やっぱ バイクでスマホをナビ代わりに使うのは無理があるね。。。

帰ってきてからの思いついた対策をメモ
基本、今まで通りスマートフォンをナビかわりに使用
しかし、積載物の中に追加するモノ
個別電池充電器(電池だけ充電できるヤツ)・SANYOゴリラ
今の自家用車についている取り外し可能なポータブルナビ
これだけあれば 完璧だろ…

話は戻って…
今日の寝床である…

南三陸からなるべく遠ざからないように… 明日の朝いちばんでも引き返せるなるべく近い場所での寝床を求めて
更に走り出す…

ふあんだぁ…
どんどん 南三陸町から遠ざかっていく…

どうしよ どうしよ… と考えていたら 道の駅を発見!!

しょうがない! 今日は ここで野宿だ!!

ってか もういい!! 分かった!! これから広島に帰るまで 全部野宿で決め込んでやる!!

バイクを駐車場に進める… 
バイクの先客がいるらしく 男女のカップル?? 男性の方が同じNC700Xで 女性の方がCBR600だったかな…
その バイクが置いてある付近にバイクを止める。

まず、トイレに行く・・・

帰ってくると、何やらその男女が 地図を広げ片手に携帯を持ち、もめている…

どうしたんですか? と聞くと

泊まる場所が無くて困っているんです… と

同じ悩みを抱える人発見…

僕 さっき ホテルで 一杯ですって断られたばっかりなんですよ…と言うと

色々なところに 電話して聞いてみているんですけど 全部ダメで… と男

僕は、もうあきらめて ここに野宿することに決めました!

と言うと 男は、うぅ~ん… 明日の昼に仙台から出るフェリーを予約していて
それに間に合うように走らないといけないんですよね…

時計を見ればもう21時近く… そして仙台までは まだまだ・・・ 間に石巻もある

そうなんですかぁ・・ 結構キツイですねぇ・・・

とアドバイスも出来ず また男女で色々話し合っていた…

僕はと言うと、こういう雰囲気の中 テントを設営するのが気まずくなって
そうだ… スマホの充電がエンジンをかけてなくてもできるように バッテリーに直結する改造をしようと
バイクを街灯の明かりが届く下まで移動させた。

走ったり止まったりしているこの道中
走行中オルタネーターで充電している訳だから エンジンを切っても数時間は充電できるし また走れば減った充電分を取り返してくれる
と考えた。
だったら、飯食ってるときとか 見て回ってるとき、 人と話をしているときの時間も充電できるジャン と…

その直結作業に取り掛かる。

なんとか 積載していた部品でできた。 作業30分弱…

振り返ると まださっきの男女が話し合っている…

この人たち 大丈夫なのだろうか…

と思いつつ・・・ なんだか 頭がズキンズキンと痛み出した…

あぁ・・・ 頭痛が来た・・・ こうなるとかなりしんどい…
多分、バイクに乗って ずっと同じ姿勢で 肩も緊張し その解放から来たんだろうな…

これは、休まなければ…

テントが張れるところを物色 どうも施設内に 大きな芝生の公園がある 自由に入れる
例によって 目立たない場所を探し、そこにテントを設営

いつもなら22時くらいに嫁から電話がかかってくるんだけど
今日は、無理… こっちから電話をかけて 出てきた嫁に 
「うぅ~ん・・ 今日は頭が痛い… もうねるぅ…」と電話を切る…

そして、そのまま テントの中でくたばっているのだが
頭が痛すぎて、じっとしていられないし寝られない…
テントの中は、若干体温であったかくなるので なんか涼しい風が欲しくなった…

アカン… 外でて涼しい風に当たろう…

テント近辺には芝生だったので 座っていたら怪しまれるかな…
と言うことで、バイクまで戻りその横に座って休んでいた その方がさまになると思ったので…

しばらく休んでいると おじさんが声をかけてきた。
今、声掛けないでぇ!! と思ったけど でもこれもまた 何かの経験につながるかもしれない と
話を合わせることにした。
そのおじさん、横浜から夫婦で来ていて しかも複数回来られているという。
昔、HONDAウイングで働いていて 僕のバイクにも関心が有ったとのこと

しばらくすると 奥さんが建屋から帰ってこられ、
また、この人がパワフルお母さんで…
マシンガントークを炸裂させる!!
被災地に行く目的、今飼っている犬の話、お父さんの話 どんどんと話が展開されていく
話しかけてきてくれたお父さんは、突然無口になり
そして、ウロウロしだす・・
何回か奥さんのマシンガントークを止めようと試みるが 幾度となく失敗する。

しびれを切らしたのか、おとうさん 
「ね・・ この方もバイクで疲れているんだから このくらいにしておこうよ・・・」と

そしたら お母さん そうだね! でも 本当に気を付けてね!! と言う事と同時に

さっきね、建屋の中で関西から自転車で来たという若い二人組にあったんよ
きっと 話が合うはず! 行ってごらん!

と・・・

気づいた時には、パワフルお母さんに圧倒されたのか… 頭痛が治まっていた。。

パワフルお母さん 被災地で主人を無くした犬を 運命を感じて連れて帰り 今は支えあって生きているという
とても涙もろくて温かい人。


そう言えば、道の駅に入ってすぐ便所に行ったとき 隣のご飯やでロード自転車が2台止まっていた
その彼らが、今は本館の建屋の方に移動していたのね…

旅は道連れ余は情け… その建屋に入って彼らに声をかける

しかし、この若い彼らとの出会いが 「土産賃金払い忘れ事件」の解決させてくれるのです。。

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