うわぁ~・・ また一か月空いた…
やっと石巻の事を書くのに、何とか今年中に広島に帰りたい…
では、さっそく続きを…
前回は、南三陸町を訪れ、近くの道の駅から南下する所だ。
次の目的地は、石巻!
ここも、甚大な被害にあった所だ。
川沿いをひたすら南下する。
思えば広島を出発してから3日間 風呂に入っていない…
雨に打たれ、排ガスを浴び、残暑の熱い熱気とバイクの熱気で汗も出る
服の着替えは何着か持ち合わせているが、
さすがに臭いが気になる…
ひょっとしたら、道中 可愛い女の子と出会えるかもしれないじゃないか!
そん時 臭かったら話にならん!!
とにかく 風呂を探そう!
以前紹介した大学生にも銭湯の場所を教えてもらっていたが
なりふり構っていられない。
途中、コンビニでおにぎりと缶コーヒーを購入。
ナニ? 東北の方のコンビニには、コンビニの中にカウンター席が有るの?
中のカウンター席で外を見ながら朝食を取る。
コンビニ内でBGMがかかっているのだが、サザンのツナミ…
うぅ~ん… なんか 複雑…
桑田さん本人も 二度と歌わない とか 言っていたような…
良い歌なんだけど やっぱりね…
さて、再び バイクにまたがり風呂を目指して南下
コンビニから少し走ると すぐに大きなスーパー銭湯が出現した。
道の駅と併設されている。
メチャメチャ駐車場も大きいので、車をおくスペースに ドカンとバイクを止めさせてもらった
理由は、テントを干すため。
ここまでで、2回 テントを利用し、毎朝 朝露がついていたのだ。
毎度、寝る時 気持ち悪いので 今日は晴れているし 干すことに。
テントを干した状態で、入浴セットを持って、いざ入館!
600円でかなりお得感 施設としては、まぁ 普通… でも 3日ぶりだよ
いい湯であった。
と言っても 風呂での出来事 それほど書くことも無い…
しれっと上がり、ホール近くに行くと
医療用マッサージ器の体験スペースが出ていた。
営業の人が、必死にお客様に説明している。
あぁ マッサージしたいなぁ ずぅ~とバイク載って 同じ姿勢で
お尻や背中も痛いし…
営業の言葉も空返事しておけばいい事だし…
体験スペースに足を踏み入れた。
すると、案の定 営業の人が近寄ってきて、機械の使い方の説明をしだした。
機械が動き出す。
メチャメチャ気持ちいい。 寝てしまいそうだ。
と、営業の人が話しかけてくると思いきや 黙っている。
しばらく、心地よく マッサージされていると
営業の人が口を開く
「お疲れですか?」
そうです! メチャメチャ疲れています! 広島からバイクで来たんです。
そう答えると もう話は止まらなくなる。
結局、マッサージを2回 おまけしてもらって その間40分くらいこの旅の事を営業の人と話した。
まぁ これも結果オーライだな…(^^;
体もリフレッシュして
さぁ、併設されている道の駅でお土産を買うことにした。
ここで、近所の人の土産 すべて買っていこう!
購入したものは、20枚入りせんべい(石巻産)3セット 特選吟醸醤油(仙台産)これめっちゃうまかった
これに、気仙沼ふかひれレトルトスープ 5袋 こんなもんか
なんせ、バイクだからお土産もあまり入らない…
さてさて、ここの道の駅に到着して2時間ほど経過しているのではないだろうか…
そろそろ石巻被災地に向かわなければ…
とバイクに帰る。
隣に和泉ナンバーのアルファロメオが停まっていたのは分かっていたけど
何やら外に出て、荷物の整理をしている。
僕が、温泉に到着した時には、車の中で寝ていた。
どうも、その方も 僕の事が気になるようで
お互いに、あいさつを交わした。
僕は、1週間かけて東北を周っていることを話した。
アルファのお兄さんは、石巻でボランティア活動の帰りと言う事らしい
そろそろ大阪に帰る とのこと
そこでまた、石巻の現状と ボランティア活動の現状を話をした。
石巻での被災でよく知られているのは、大川小学校の小学生が犠牲になったという事だ
アルファのお兄さんは、自分の目で周りを見て初めて 逃げ場が無いことが理解できる と話していた。
政治家や学者や被災地外の人は、見もせず あれが悪かっただの、これが悪かっただの 何故このように判断でき無かったのかと
勝手なことを言うが、現場に立つと 逃げ場が無いことを思い知らされる。 勝手なことを言うヤツラに憤りを感じる
と言う。
そう言う話を また1時間くらい話、僕は、テントを畳みながら 次なるコースをたどる準備にかかる。
石巻市内に入った。
なんだ… わりと普通じゃん…
駅前の商店街には、ロボコン等のフィギアが通りで出迎えてくれる。
その商店街を通り越、海沿いの方へ出ると
あ・・・
また 開けた場所に出る。
がれきも撤去され、道とさら地 たまに津波にさらわれなかった建物が点々と立っている。
一際目立つのが石巻市立門脇小学校だ。
校舎の半分 焼けたような跡がある この校舎では死者はいないが、その周辺で何人もの命が失われたという
バイクを止めて、校舎を眺める。
ここは、もう 運動場から立ち入りが禁止になっている。
でも よく見ると 人が何人か 校舎の中に入っている。
陸前高田の時もそうだったが、立ち入り禁止の中を 堂々と入っている気がしれない。
そんなことを感じながら、周りに目をやると
なんだか派手な自転車に乗った若い女性二人が、
空き地で車を止めていたオジサンに声をかけられていた。
内容は、よく聞こえないが、
どうも、被災の事が聞けるような雰囲気だった。
語りの方か、なにかグッズを販売しているのか…
とにかく 僕も行ってみよう。
で、僕もバイクでそこの輪の中に入ることにした。
ここでは、僕は衝撃的な話を聞くことになる。
オジサンは、フリーカメラマンで 名前は阿部 美津夫さん
現在、カメラで被災地の現状を発信しながら、各地で被災地の語りも行う
普通ならこのような辛い事は、僕も聞いても書けないんだけど
阿部さん自身、自分の被災経験を知ってほしいと 訴えているため
私も阿部さんとお話しした内容を 包み隠さずココで紹介したいと思う。
阿部さんは、石巻で津波に遭遇した。
奥さんと高台に逃げたが、二人の孫が通う小学校に娘さんが迎えに行ったまま、行方不明となった。
震災3日後、自宅近くで 車の中で亡くなっている二人の孫と娘さんを発見したとのこと。
新聞でも取り上げられています
僕は、被災地に入ってから 沢山の方と話をしたが
被災で身内が亡くなった と言う話は、初めてだった。
今、思うが、 そう言う辛い過去は、みんな話したがらない そう思う。
ただ 阿部さんは違った。
今、自分が生きているのは 何故か… 自分に何ができるか そう考えているらしい
阿部さんの一言一言が、とても重たい。
そして、私たちに語りかける。 人間の意味を
そこらへんの軽い言葉じゃない。
一番印象に残った言葉は
「人は簡単に裏切れる」
これは、すごいインパクトだった。
仲良くしてくれる人、助けてあげるよ と言ってくれていた人たちが
こういう事態になって、頼りに行っても 簡単に裏切られたとか…
とにかく、最後まで、震災の恐ろしさと、人間の恐ろしさを語っていた。
そして、これから 人を続けていくための「心構え」を説と語ってくれた。
この阿部さんの話、とにかくインパクト 大きいです。
こうやって、オープンに語ってくれる方も少ないです。
阿部さん自身、色々なところで語らなければならないと言っております。
私自身、あの出会い以来 阿部さんから「広島のボス」と言われており
僕も講演を手掛けていることもあり、講演で意思を伝えると言う所で連絡を取り合っております。
本当に良い話が聞けます。
是非、阿部さんを紹介させていただきたい。 私の方の連絡でも構いません。
となんだかんだで、阿部さんの紹介でしたが、
その時、すでに 周りに 最初の女性2人 そして僕 更に京大学生の川西君が一人入っていた。
それぞれに、出身など話すると…
女性一人は、就職で広島行きます もう一人の女性は、東広島八本松に住んでいます 京大生川西君は実家広島です
そして僕…
阿部さんも 驚いてました。
ナニ このバラバラにココに来た4人 全員 広島つながり!? スゴイ偶然だね!!
と言うことで、広島つながり4人と 記念撮影することにした。
とくにfacebookでもお友達になってくれたさかもとさん
八本松って・・・ しかも よくソレイユ遊びに行きます とか…
石巻まで来て、偶然出会った人とソレイユの話が分かるとは… なんか 面白い!
また、広島メンバー 集まって 飲み会しよう! と約束した。
阿部さん、広島同盟会 解散際 なんか 面白い人がいた。
派手な車 と言っても 普通の乗用車に 色々な飾りつけをして
それに乗っている本人も 防災服を着ているのだが、なんか ちょっと 雰囲気が変…
少し、話しかけられたが、先も進まなければならないし
欠けた歯が印章的だった。
石巻から見たガレキの山
がんばろう 石巻の横に 少し高い看板が有るのがおわかりだろうか
人と一緒に撮影しているから分かるだろうが、これだけの高さの津波が押し寄せてきたことを表す
元々 水泳をしていたこともあって、飛び込み台用のプールの底を泳いだことが有るけど
その時の水面の高さを思い出した。 あの体、耳が水圧で締めつけられるほどの力が
ドン と来たのだ。
2012年12月19日水曜日
NC700Xで行く被災地回り⑧ 「人は簡単に裏切れる」in石巻
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