今日で、 被災地廻りの旅も最終回になるだろう・・・
僕の旅は、いつもこんなもんだ・・・ 出だしは元気、 でも すぐ帰りたくなる…
福島原発も回避して いわき市へ出た。
本来は、いわき市からも 下道でどんどん 東京まで行く予定だった。
でも これは、行に考えていたルート・・・
現実的には、こうそくを乗ってしまえば、楽に東京まで帰れる
下道を ずんずん 南下するが、 高速道路の看板 いわゆる 誘惑が手招きしている・・・
ずぅ~と 6号線と常磐自動車道が 並走している・・・
もう 乗ってしまったら 広島まで 降りることは無い・・・
旅も終わりになる・・・ 分かってる・・・
しんどいよぉ~・・
そんなことを考えながら・・・ 誘惑に負けず ひたすら 南下・・・
そうだ! 温泉が有ったら 入ろう!
など 考え中ら走っていたら、ついに 茨城県に入った。
東京に近づくにつれ、だんだんと活気が出てきているのが分かる。
そして、海沿いを走っているのだが、 これと言って 津波の被害を見ることは無かった。
海沿いでも、家が しっかりと立っている。
見えないだけで、 被害に遭っているのかもしれない・・・
そう考えながら、日立市に入った。
温泉と言う看板が有る!
そういや、今日は、ひたすら走っている。 かなり体も疲れている・・・
温泉で、体を 休めよう・・・
と この温泉施設に 足を踏み入れた・・・
例によって、温泉セットをバイクから出し、玄関を 入る・・・ が・・ なんだか 嫌な予感が・・・
どこにも入浴料が書いていないのだ・・・
不安になって、カウンターの店員に聞いてみた。
すみません 入浴料いくらですか?
確か2千円を超えていたような・・・
あまりの高さに 記憶が無いが、 気づいた時には、入浴せずに外に出ていた。
こんな高いところ 入れるかい!!
また バイクにまたがって 走り出す・・・
正直 もう 燃え尽きている・・・ 走る目的も無い・・・
コンビニに立ち寄る・・・ そして、おむすびとお茶を買う
人目が届かないところに 移動して、おむすびとお茶を食べる・・・
そして、今は 仕事をしているであろう 嫁に電話する・・・
「もう 無理や・・・」
「ほな 帰っておいでぇ」 と一言
まぁ 嫁から こういわれると 結構楽なもんで 次のインターから高速に乗ることにした。
この時、16時位かな・・・
水戸インターから 高速に乗った。
ココからは、ひたすら 高速で、帰るだけ。
実は、東京で、一つ仕事があって、川崎のオフィスで 一泊しようかと思ったんだけど
もう 中途半端に止まってしまうと ただ疲れるだけのような気がしたので、
スケジュールを変更して、広島まで高速を降りずに帰ることにした。
と言っても 1000kmの道のりだ・・・
日も沈みかけたころ、首都高入った。
東京スカイツリーが見えてくる・・・
が・・・ 全然 大きくなってこない・・・
すでに スカイツリーを発見してから 1時間近く走ってるが、 大きさが変わらない・・・
首都高名物の渋滞にはまってしまった・・・
これも、長旅の体には とても応える・・・・
東京を越えて、東名(東名川崎)に入るまで、4時間もかかってしまった。
もう 12時も超えそうな勢いだった。
東名に入ると、車の流れも順調で 常時100km位で走行
そして、新東名に入る。
清水SAで、一晩 明かそうと 隠れたところに テントを張るも どうも 落ち着かない・・・
何故なら、綺麗な芝生で、柵までしていたから・・・ ひょっとしたら 怒られるんじゃないかと・・・
テントの中で 考える事30分 やっぱここにテントを張るのを止めよう・・
とテントを畳む。
しかし、これでは 体が持たない 少し寝なければ・・・
こんな、滅茶苦茶な体の使い方は、事故の元だ・・・
どうしよう・・・ でも テントを張る所が無い・・・
・・・・ 駐輪場の一番端にバイクを止め、その下にシートをひいて仮眠・・・
1時間ほど 仮眠しただろうか・・・ 運よく 人も来なかったようだが・・・ とんでもない所で寝てた・・・
ただ、少し寝ると 元気になって・・・ もう寝れなくなる・・・
深夜2時の事だ・・・
距離 のばすか・・・ どうせ シートを畳むだけだし・・・
と また 高速道路を走り出す・・・
深夜の高速道路・・・・ 車もあまりいないし、 眠たくなると言われている新東名だ・・・
走り出したら また すぐ眠たくなった・・・ こりゃダメだ・・・
またすぐの掛川PAに入る・・・
もう、テントも張る場所も無い
新しい高速なのだからだろうか・・ なんか そう言う雰囲気を持っている。
もう、どうでもいいよ! 寝る!!
芝生を見つけて、そこにシートをひいて、夜空を見ながら野宿決定!
人生で初めて、外で寝たわ・・・
気づいたら 日が昇ってた。
時計を見たら、5時過ぎていた。
人間、窮地に立たされると なんでもできるもんだなぁ・・ と 思った。
結局トータル4時間くらい寝ていたので、 体も 少し楽になっていた。
さぁ どんどん帰ろう!
新東名も終わり、伊勢湾岸自動車道に入る。
走っていると、前の方に どす黒い雲が見える。
明らかにゲリラ豪雨だ・・・
これに 突っ込む前に、備えないと・・・・ 備えないと・・・・ 備えないと・・・・
ってか PA がないぃ~~~!!
どっしゃぁ~!!!
ビチョビチョになりながら、湾岸長島PAによる すぐ隣がナガシマスーパーランドっていう遊園地がある。
そんなこんなで・・・ ズルズルと書いてきたが・・・
新名神を通って、京都、大阪を通過し ついに 広島まで戻ってきた。
1行で書いたけど ここまで実に7時間かかっている・・・
最後・・・ この休憩でおしまいと言うのが、福山SAだった・・・
20年前くらい前のGSX-R1100が停まっている・・・
名古屋ナンバーだ・・・
年齢は二十歳くらい・・・ わかいなぁ・・・
どこ行くん? って聞くと 宛てはありません・・・ 行けるところまで行きます。 と言う・・
変わったやつやなぁ・・・
名古屋っていう事は、ゲリラ豪雨に遭ったでしょ・・
え? 知りませんよ・・・ 何時位ですか?
そうだなぁ 10時位かな・・・ と答えると
若者は、 あぁ・・ その時間 まだ寝てました・・・
はぁ? じゃぁ なんんでこの時間に ここに居れるの??
えぇ・・ それは 秘密です・・・
そんな、会話をしながら、 僕が、呉と言う地域を薦めると
じゃぁ そこに行ってみます! 潜水艦見てきます 軍艦カレーとお好み焼き食べてきます。 と いい音させて先にSAを飛び出していった。
まぁ なんというか 若いね・・・(^^;
若者が飛び出して行ってから 2~3分後 僕も福山SAを出た。
普通に100km位のスピードで走行車線を走行・・・
すると、前の方に遅い車の列が・・・
アクセルを回し、110kmまで加速して追い越し車線に・・・
順調に走行車線の車を抜いていると めっちゃ飛ばしてくる車が・・・
レガシーだ・・・ 140km以上出ている・・・
このまま 走行車線に戻るのも危険だし、加速してやり過ごすことにした
ふと、前乗っていた250ccスクーターの事を思い出す。
あのバイクは130kmなった瞬間 プーリーが吹っ飛んで、レッカーを余儀なくされた記憶が有る。
でも 今乗っているNC700Xは 大型だし 高速走行も得意だ。
一気に130kmまで加速する・・・・・ !!!??
どんどん レガシーが詰めてくる!!!
えぇ~!! 6速フルスロットルで引っ張るが、まだまだ詰まってくる。
バイクの加速についてくるというか、それ以上に踏んできている。
っていうか なんだ この乱暴な運転は!!
こういう時、隼とかZZRだったらブッチぎれるんだろうなぁ・・・ と思いきや
僕は、もういい大人なので、 そんなに死に急ぎたくもないし、
どうぞどうぞと、走行車線の間に入れてもらった。
あざ笑うかのように、爆音を立ててレガシーが走り去っていく・・・
このやろぉ~・・・
と思っていたら、今度は、後ろの方から バイクが これまたとんでもないスピードで走ってくるのがバックミラーで見える・・・
うわぁ・・・ これ どんだけでてるんやろうか・・・ と言う勢い・・・ 間違いなく 200kmは超えている・・・
一瞬のうちに僕に追いつき そして追い抜いて行く!
走り去っていくバイクをよく見ると、左手で親指を立てながら走っている。
さっきの若者だ!! 途中のPAにでも寄っていたのか・・・
そして、あっという間にレガシーに追いつき レガシーをあおっていた・・・。
どうやってもGSX-R1100には勝てんわ・・・ 300km近く出るバイクやし・・・
こわぁ~・・(^^;
さぁ そんな 物語も終盤、
なんと 最後 5日前に入ってきたインター 志和に到着するころには、雨が降っていた。
普通なら、カッパに着替えるが、 もう 数キロで家に到着・・・
長い長い旅だった。
4泊5日 トータル3500km 使用燃料120リットル
まとめ・・・
この度で、何を学んだか・・・ 自分の何が変わったか・・・
被災地から 帰ってきて、 色々な人と話をしてきた、仕事柄、経営者と会う機会も多い。
経営者であれば、僕は、次のとこと伝えている。
社員を被災地に送り込むのは”あり”と言う事
ボランティアでも研修でも何でもいい
短期間でもいい。
夢や目標を失いつつある「若者」は特に行った方が良いと思った。
何故か・・・
それは、被災地にいる人々 全員が「生きる」という目標を目のあたりにすることができる。
そして、僕たちみたいに、被災地を周ったり、ボランティアをしている方々。
この人たちも、必ず目的を持って動いている。
そして、目的を持っていれば、その目的を持つ者同士でイノベーションが起こる。
これば、ものすごく自分の中で意義が大きい
目的を持つことの意味を理解できる
私はこの旅を通じて学んだことだ
しかし、これは、時間が経てば経つほど 東北で感じることができなくなる。
今日は、2012年12月22日 東北に行ったのが、9月初旬
すでに、4回目に紹介した体育館などは撤去されさら地になっているとニュースステーションでやっていた。
自分の目で見て、インスピレーションを受けた所が消えてしまった事は残念だ。
今からも そうやって どんどん 「感じる所」が消えていってしまうのだ。
仕方のない事だが、
僕は、この旅できっと・・
会社の経営に対する考え方が変わっただろう。
一番大きいのは、子供を一人前に育て上げる 一つの親としてのアイテムになっていると感じている。
更に、この総まとめを書いていた上で 気づいたことが有った。
やっぱり 仕事より 子供の方が大事なんだ・・・ ということを・
-おしまい-
2012年12月22日土曜日
NC700Xで行く被災地回り⑪ 「夢、目標とは何か」in広島 最終回
2012年12月21日金曜日
NC700Xで行く被災地回り⑩ 「もしも僕一人の世界だったら」in福島
人材育成基盤構築プロデューサー 小林です
どんどん、書きます。 とにかく 今年中に終わりたい。
そして、次、仕事の本を書きたい これを終わらせないと書けない。
しかし、この東北被災地周りの旅も なんと 10話目… 一冊の本になるんじゃないだろうか・・・
これが、 実は 仕事の本を書くことへの自信にもつながっている。
やれば、できるんだ。 そう言えるためには、やはり 最後まで書かないと…
現在の場所は、福島県 相馬市だ。 6号線沿いの道の駅にいる。
道の駅の こんな場所にテントを張って寝た。
もう こうなったら どこでも寝れるわ。
今日も、良い天気。 朝食に、前の日にとんかつ屋で頂いたキュウリを食す。
味噌をつけて食べるのだが、 なんと メチャメチャシャキシャキしていて美味しい!!
朝から 3本ペロリと平らげた。
さぁ 今日も がんばって走ろう!!
7時ころ、原発向けて6号線を南下する。
だんだん、車が減ってくる。
しまいにゃ 前も後ろも 全く車がいなくなった。
国道なのによ・・・ !?
めちゃめちゃ 気持ち悪い・・・ なんだ この異様な雰囲気は・・・
ものすごく ゆっくり国道を走ってみる・・・
700㏄のバイクなのに 自転車に抜かれるくらいに・・・・
しばらく走っても 後続車一台も来ない・・・
うわぁ・・・ と思っていたら いきなり
「パァーン!」と音がして 何か後ろの方に吹っ飛んだ!
なんだなんだ! と思っていたら、ハンドルに張り付けてあったGALAXY noteが無くなっている!!!
よく見ると、液晶本体は、充電ケーブルにつながれ プラーン ってぶら下がり
中身の電池が 道路に投げ出されている!
うわぁ!! すぐ 道路わきに バイクを止める。
そして、外れた電池を 取りに行くのだが・・・・
やっぱり 車が来ない・・・
もし、普通の道路なら 取りに行くのも かなり危険な感じだったのだが…
あたりを見渡してみると そこは、すでに 人の気配が無いのだ・・・ 建物は有るんだけど・・・
なんか、スゴイ 不思議な感じだ・・・
とにかく、行けるところまで、行ってみよう!
と また バイクを走らせる・・・・
そして しばらく走っていると・・・・
ついに、立ち入り禁止場所まで来てしまった。
警察官が、大きく × とジェスチャーしている。
道も ここまでか・・・
本当だったら、このまま6号線でいわき市まで抜けれるのだが・・・
仕方なく 引き返す。
そして、海の方へ行ってみる。
すると こんな状態だった
映像でどうぞ…
検問から海の方までの走行を映像で見れます
なんかねぇ・・・ なんて表現したらいいのか・・・・
ナンにもない!!
バイクを降りて、少し歩いてみる・・・
すると、車に貝がへばりついている。
まるで、海に沈んだ車のようだ。
四方1km 僕以外 誰もいないようだ・・・
めちゃめちゃ大きい声で、「お~~~~~~~~~~い!!!」
と叫んでみる。。。
何にも聞こえない・・・
広島に帰ってからgooglemapで調べてみたんだが、
本当に最近まで ここは海の中に沈んでいたらしい。
証拠に、僕が立っているところの衛星写真は海になっている
急遽経てた電信柱だろうか・・・
こんな張り紙が貼られている
海から離れ、常磐線 小高駅の方に行ってみる。
駅前の高架から撮影した写真だ。
電車が通っていないので、線路すらわからないくらい 草が生い茂っている
駅前通りに出てきた。
店や家が沢山 立ち並んでいる・・・・
でも やっぱり 人がいない・・・・
僕は、この状態を 聞かれた人に いつもこういう風に説明する
ドラえもんの「もしもボックス」で もしも僕一人の世界だったら! と言う お願いが 実現したかのような世界。
本当に恐ろしい。
本当に街が死んでいる・・・
なんて 表現したらいいんだろうか・・・ この世界は 行かないと分からないよ 本当に・・・
今まで、陸前高田から南下し、気仙沼、石巻、仙台 と来たが
まったくもって、被災の内容が違う・・・
見えない恐ろしさを感じた。
広島に帰ろう・・・
そう思った。
今から越えなければいけない 壮絶な道のりを ある程度 予測できたのだ・・・
6号線が使えない・・・
と言うことは、福島原子力発電所を囲うように遠回りしていわき市まで出なければいけないのだ・・・
本当に 本当に この道のりは しんどかった!!
ほっそい国道と県道 そして峠道を ひたすら走らなければいけないのだ・・・
シフトチェンジの回数も多くなるし、クラッチもそのたびに握る
ギアダウンする時は、一瞬回転数を上げる動作をアクセルでコントロールしているのだが
実は、旅立つ2週間前に 右手首 折っていたので・・(^^;
めちゃめちゃ 手首痛いし 下り坂になると 体重もかかるし・・・
更に そんななか 走っていると こっから封鎖です! と検問で引き返されたり・・・
なんだかんだで、4時間くらい、山の中をさまよって・・・・
走行距離は それだけで200km位 走っているんじゃないかな・・・
本当に燃費の良いバイクでよかったよ・・・ ガススタにも人いないし・・・
話に聞くと、ガス欠する人も何人かいるらしい・・・
でも 基本 昼間しか 入る事の出来ない場所なので、 ガス欠で止まったりしたら 大変だ!
そして、もう一つ 走行中に気づいたこと・・・
とにかく 警察車両の巡回が多い! いわき市に抜けるまでに20台近くのパトカーとすれ違った。
いわき市に入り、人を見つけたとき 本当にうれしかった!!
2012年12月20日木曜日
NC700Xで行く被災地回り⑨ 「反対ばかりしていると いつか見捨てられるよ」in相馬
人材育成基盤構築プロデューサー 小林です
今日は、2連続でアップです。
前回の石巻を後にする
次の目的地は、仙台…
が、正直 体がクタクタ状態…
その状態で、仙台市内を通過しなければいけない。
今まで、信号も少なく、車量もあまりなかったので
ほとんど停止することも無く、走行できた が・・
こうも信号停止、渋滞に巻き込まれると どんどん体力を消耗していく
おまけに、ここでもナビゲーションを頼りにしなければどっちに向いて走っているかわからない状態…
充電池もスレスレ、カスカスの状態で 何とか仙台を通過
途中、被災に遭った仙台空港も見たかったが、 ごめん… 今回は 距離を伸ばすことにした。
とにかく、福島に入らなければ…
その一心だった。
6号線をひたすら南下し、福島を目指す。
日も暮れかかった頃
宮城県と福島県の県境あたりに入った。
左に海が見えるが、やはり被災に遭っており、ところどころに 線路の跡みたいなものが見える。
そう言えば、この辺ではなかろうか…
電車に警察官2人乗り合わせて 全員を無事 避難させたという場所…
少し 寄り道をすることにした。 海岸沿いにバイクを進めてみる。
★072
橋が津波で吹き飛ばされている…
どうも、このあたりに常磐線 新地駅 と、例の警察官が乗っていた停止電車が有るはずなのだが・・・
駅すら流されて どこにあったかわからない。 でも GPSはこの場所を指している。
★073
橋が架かっていたであろう場所にバイクを止めて、しばらく海を眺めた。
今は、穏やかな海だが・・・
ふと、海岸沿いに目をやると 人がいる。
そう言えば、僕のすぐ近くにも 車が止まっている。 人はいるようだ。
地元広島でも海が有り、カップルで来ているのをよく 見かけるが…
なんか そうとは違う雰囲気を出している。
なんだか とても寂しそうに佇んでいる。
★74
僕もしばらく ここで海の音を聞いていた。
本当に日が暮れてきた。
おなかもすいてきた。
そうだ 本当にさっき とんかつ屋さんが有ったので そこに行く事にした。
海から数百メートルしか離れていないところなのに
よく助かったなぁ と思った店だった。
中に入ると 当然だけど・・・ 誰もいなかった…
でも 店主がスゴイ サッカーファン と言うのだけは分かる
いたるところにベガルタ仙台のポスターやらユニフォームが飾られている。
とりあえず、テーブルに落ち着き、とんかつ定食を注文する。
そうこうしているうちに、店主のお母さんが 店に帰ってきた。
話しかけられる。
店の前に、大きいバイクが止まっていたけど あなたのぉ~? っとこんな感じ・・
あ・・ じゃまでしたか? と答えると
イヤイヤ いいんよぉ~ どこからきたぁん? と尋ねられる。
広島から 来ました。 と答えると 会話は予想外の方向へ・・・
ウワ! サンフレッチェ!
サッカーかよ!!
丁度その時、優勝接戦でサンフレッチェかベガルタと言う時期だったのだ。
先日、サンフレッチェがJ1優勝を決めたが、と同時に このとんかつ屋さんの悔しい表情も目に浮かぶ・・・
さてさて、問題は、これから どうやって福島県を通過するかだ。
福島原発付近は、封鎖されて通ることができない。
どこまで近づけるか・・・
とその前に、頭の中では、どうせ入れないのだから もう高速に乗って東京に向かっても良いのではないか
そう考えるようになっていた。
完全に、気持ちが疲れている・・・
地図を広げ どうしようか、それに 寝床も決めなければいけない。
おいしいとんかつを食べながら、地図を広げていると
店主とお母さんが寄ってきて、封鎖箇所の説明をしてくれた。
6号線の南相馬あたりまで行ける。 でもここまで行ってしまったら 迂回ルートの115号線で福島市街に出るのが困難に
何処で寝るの? 道の駅? 相馬に一か所道の駅が有るよ っていうか、この店の中で寝なよ
と言われたが、そこで断ってしまうのが僕・・・ 甘えていればよかったかな…
とりあえず、道の駅まで行って考えることにした。
このとんかつ屋、もう数百メートル先は、福島県となる
原発の影響も受けている。
津波で、店の半分が水没したと言うが、なんとか再開までこぎつけ
そして放射能。
きっと、怒っているんだろうな・・・ と思ったが、
当の本人たちは、怒ってばっかりでどうするの?
怒って、反対ばっかりして・・・ そんなんじゃ、いつか見捨てられるよ。
共生していく それが日本人ジャン! と
なんて、心が大きい人なんだ
いろいろ話をしていたら、野菜の仕入れ屋さんが入ってきた。
色々な新鮮野菜。 そして福島産
お母さんが、これ旅路でたべな。 とキュウリ3本と味噌 そしてエビせんを袋に入れてくれた。
嬉しい! ありがとう!
このとんかつ屋
とんかつ屋から20kmほど走った所に、道の駅が有った。
一端、この場所にバイクを止めて、コーヒーを飲みながら、どっちの方向に向かおうか考えることにした。
パソコンをバイクの電源につなぎ、溜まっていたメールの返信をする。
周りを見ると 結構車中泊している人 更に、自転車で来たのか、ベンチで夜が明けるのを待っている人がチラホラ・・・
南三陸の道の駅とは、どうやら様子が違うことに気づく。
この自転車の人、被災地を回っているのであれば もっと荷物が有るはず なのに 荷物は無い・・・
どういう事なんだろうか
実は、この先 住居制限区域であるため 日中しか立ち入ることができないのだ。
だから、夜は、ここで夜を明かす人が多いのだ。
どうしようかなぁ・・・ このまま 福島市内に入って 高速乗って、SAでテントをはるか・・・
ここで、テントを張って 原発付近まで近づいてみるか・・・
気持ちは、すでに 帰り方面に向かっている。
こういう疲れているときは、人間弱いモノである。
福島市内 高速に行こう! もう 帰ろう! と考えた その瞬間だった。
一人のおじさんが 近づいてきた。
何処から来たの? ナンバー 広島だけど… と・・・
今までの事をお話しした。
おじさんは、奥さんと一緒に 車で友人を待ってい途中のようだ。
事の始終、今からの判断を お話しすると
おじさんが、一言 僕に語りかける。
「街が死ぬって分かる?」と
????
家は、人が住んでいないと死んでしまう とよく聞く。
でも 街が死ぬって・・・
一つ一つの家が死んで、そして 街が死ぬんよ・・・
もし、時間に余裕が有るのなら、常磐線 小高駅の方まで行ってきて見てきてほしい。 そこまでなら入れるから。 と・・・
今までは、津波の話が主だったが、 ここにきて 初めて原発の話を聞くことになる。
この話は、さすがに このブログではできない。 僕が自分の目で見た情報ではないので確証が無いのだ。
でも おじさんが言う。
この道の駅もおかしいと思わない?
まぁ 自転車の人が点々といるのはおかしいと思ったが・・・
よく考えると、建屋の中は、すべて鍵がかけられているのだ。
普通の道の駅では、共有スペースは空いている。
おじさん曰く あまりにも窃盗が多くて 夜間は建屋内閉鎖に踏み切ったとのこと。
悲しい事だけど、死んだ街を良い事に窃盗が頻発しており 頑丈にバリケードしても 壊して中に入られ物色している輩がいるという。
おじさんと このような話をしたことで、自分の腹が決まった。
明日は、ここから出発して 原発を目指そう!
2012年12月19日水曜日
NC700Xで行く被災地回り⑧ 「人は簡単に裏切れる」in石巻
うわぁ~・・ また一か月空いた…
やっと石巻の事を書くのに、何とか今年中に広島に帰りたい…
では、さっそく続きを…
前回は、南三陸町を訪れ、近くの道の駅から南下する所だ。
次の目的地は、石巻!
ここも、甚大な被害にあった所だ。
川沿いをひたすら南下する。
思えば広島を出発してから3日間 風呂に入っていない…
雨に打たれ、排ガスを浴び、残暑の熱い熱気とバイクの熱気で汗も出る
服の着替えは何着か持ち合わせているが、
さすがに臭いが気になる…
ひょっとしたら、道中 可愛い女の子と出会えるかもしれないじゃないか!
そん時 臭かったら話にならん!!
とにかく 風呂を探そう!
以前紹介した大学生にも銭湯の場所を教えてもらっていたが
なりふり構っていられない。
途中、コンビニでおにぎりと缶コーヒーを購入。
ナニ? 東北の方のコンビニには、コンビニの中にカウンター席が有るの?
中のカウンター席で外を見ながら朝食を取る。
コンビニ内でBGMがかかっているのだが、サザンのツナミ…
うぅ~ん… なんか 複雑…
桑田さん本人も 二度と歌わない とか 言っていたような…
良い歌なんだけど やっぱりね…
さて、再び バイクにまたがり風呂を目指して南下
コンビニから少し走ると すぐに大きなスーパー銭湯が出現した。
道の駅と併設されている。
メチャメチャ駐車場も大きいので、車をおくスペースに ドカンとバイクを止めさせてもらった
理由は、テントを干すため。
ここまでで、2回 テントを利用し、毎朝 朝露がついていたのだ。
毎度、寝る時 気持ち悪いので 今日は晴れているし 干すことに。
テントを干した状態で、入浴セットを持って、いざ入館!
600円でかなりお得感 施設としては、まぁ 普通… でも 3日ぶりだよ
いい湯であった。
と言っても 風呂での出来事 それほど書くことも無い…
しれっと上がり、ホール近くに行くと
医療用マッサージ器の体験スペースが出ていた。
営業の人が、必死にお客様に説明している。
あぁ マッサージしたいなぁ ずぅ~とバイク載って 同じ姿勢で
お尻や背中も痛いし…
営業の言葉も空返事しておけばいい事だし…
体験スペースに足を踏み入れた。
すると、案の定 営業の人が近寄ってきて、機械の使い方の説明をしだした。
機械が動き出す。
メチャメチャ気持ちいい。 寝てしまいそうだ。
と、営業の人が話しかけてくると思いきや 黙っている。
しばらく、心地よく マッサージされていると
営業の人が口を開く
「お疲れですか?」
そうです! メチャメチャ疲れています! 広島からバイクで来たんです。
そう答えると もう話は止まらなくなる。
結局、マッサージを2回 おまけしてもらって その間40分くらいこの旅の事を営業の人と話した。
まぁ これも結果オーライだな…(^^;
体もリフレッシュして
さぁ、併設されている道の駅でお土産を買うことにした。
ここで、近所の人の土産 すべて買っていこう!
購入したものは、20枚入りせんべい(石巻産)3セット 特選吟醸醤油(仙台産)これめっちゃうまかった
これに、気仙沼ふかひれレトルトスープ 5袋 こんなもんか
なんせ、バイクだからお土産もあまり入らない…
さてさて、ここの道の駅に到着して2時間ほど経過しているのではないだろうか…
そろそろ石巻被災地に向かわなければ…
とバイクに帰る。
隣に和泉ナンバーのアルファロメオが停まっていたのは分かっていたけど
何やら外に出て、荷物の整理をしている。
僕が、温泉に到着した時には、車の中で寝ていた。
どうも、その方も 僕の事が気になるようで
お互いに、あいさつを交わした。
僕は、1週間かけて東北を周っていることを話した。
アルファのお兄さんは、石巻でボランティア活動の帰りと言う事らしい
そろそろ大阪に帰る とのこと
そこでまた、石巻の現状と ボランティア活動の現状を話をした。
石巻での被災でよく知られているのは、大川小学校の小学生が犠牲になったという事だ
アルファのお兄さんは、自分の目で周りを見て初めて 逃げ場が無いことが理解できる と話していた。
政治家や学者や被災地外の人は、見もせず あれが悪かっただの、これが悪かっただの 何故このように判断でき無かったのかと
勝手なことを言うが、現場に立つと 逃げ場が無いことを思い知らされる。 勝手なことを言うヤツラに憤りを感じる
と言う。
そう言う話を また1時間くらい話、僕は、テントを畳みながら 次なるコースをたどる準備にかかる。
石巻市内に入った。
なんだ… わりと普通じゃん…
駅前の商店街には、ロボコン等のフィギアが通りで出迎えてくれる。
その商店街を通り越、海沿いの方へ出ると
あ・・・
また 開けた場所に出る。
がれきも撤去され、道とさら地 たまに津波にさらわれなかった建物が点々と立っている。
一際目立つのが石巻市立門脇小学校だ。
校舎の半分 焼けたような跡がある この校舎では死者はいないが、その周辺で何人もの命が失われたという
バイクを止めて、校舎を眺める。
ここは、もう 運動場から立ち入りが禁止になっている。
でも よく見ると 人が何人か 校舎の中に入っている。
陸前高田の時もそうだったが、立ち入り禁止の中を 堂々と入っている気がしれない。
そんなことを感じながら、周りに目をやると
なんだか派手な自転車に乗った若い女性二人が、
空き地で車を止めていたオジサンに声をかけられていた。
内容は、よく聞こえないが、
どうも、被災の事が聞けるような雰囲気だった。
語りの方か、なにかグッズを販売しているのか…
とにかく 僕も行ってみよう。
で、僕もバイクでそこの輪の中に入ることにした。
ここでは、僕は衝撃的な話を聞くことになる。
オジサンは、フリーカメラマンで 名前は阿部 美津夫さん
現在、カメラで被災地の現状を発信しながら、各地で被災地の語りも行う
普通ならこのような辛い事は、僕も聞いても書けないんだけど
阿部さん自身、自分の被災経験を知ってほしいと 訴えているため
私も阿部さんとお話しした内容を 包み隠さずココで紹介したいと思う。
阿部さんは、石巻で津波に遭遇した。
奥さんと高台に逃げたが、二人の孫が通う小学校に娘さんが迎えに行ったまま、行方不明となった。
震災3日後、自宅近くで 車の中で亡くなっている二人の孫と娘さんを発見したとのこと。
新聞でも取り上げられています
僕は、被災地に入ってから 沢山の方と話をしたが
被災で身内が亡くなった と言う話は、初めてだった。
今、思うが、 そう言う辛い過去は、みんな話したがらない そう思う。
ただ 阿部さんは違った。
今、自分が生きているのは 何故か… 自分に何ができるか そう考えているらしい
阿部さんの一言一言が、とても重たい。
そして、私たちに語りかける。 人間の意味を
そこらへんの軽い言葉じゃない。
一番印象に残った言葉は
「人は簡単に裏切れる」
これは、すごいインパクトだった。
仲良くしてくれる人、助けてあげるよ と言ってくれていた人たちが
こういう事態になって、頼りに行っても 簡単に裏切られたとか…
とにかく、最後まで、震災の恐ろしさと、人間の恐ろしさを語っていた。
そして、これから 人を続けていくための「心構え」を説と語ってくれた。
この阿部さんの話、とにかくインパクト 大きいです。
こうやって、オープンに語ってくれる方も少ないです。
阿部さん自身、色々なところで語らなければならないと言っております。
私自身、あの出会い以来 阿部さんから「広島のボス」と言われており
僕も講演を手掛けていることもあり、講演で意思を伝えると言う所で連絡を取り合っております。
本当に良い話が聞けます。
是非、阿部さんを紹介させていただきたい。 私の方の連絡でも構いません。
となんだかんだで、阿部さんの紹介でしたが、
その時、すでに 周りに 最初の女性2人 そして僕 更に京大学生の川西君が一人入っていた。
それぞれに、出身など話すると…
女性一人は、就職で広島行きます もう一人の女性は、東広島八本松に住んでいます 京大生川西君は実家広島です
そして僕…
阿部さんも 驚いてました。
ナニ このバラバラにココに来た4人 全員 広島つながり!? スゴイ偶然だね!!
と言うことで、広島つながり4人と 記念撮影することにした。
とくにfacebookでもお友達になってくれたさかもとさん
八本松って・・・ しかも よくソレイユ遊びに行きます とか…
石巻まで来て、偶然出会った人とソレイユの話が分かるとは… なんか 面白い!
また、広島メンバー 集まって 飲み会しよう! と約束した。
阿部さん、広島同盟会 解散際 なんか 面白い人がいた。
派手な車 と言っても 普通の乗用車に 色々な飾りつけをして
それに乗っている本人も 防災服を着ているのだが、なんか ちょっと 雰囲気が変…
少し、話しかけられたが、先も進まなければならないし
欠けた歯が印章的だった。
石巻から見たガレキの山
がんばろう 石巻の横に 少し高い看板が有るのがおわかりだろうか
人と一緒に撮影しているから分かるだろうが、これだけの高さの津波が押し寄せてきたことを表す
元々 水泳をしていたこともあって、飛び込み台用のプールの底を泳いだことが有るけど
その時の水面の高さを思い出した。 あの体、耳が水圧で締めつけられるほどの力が
ドン と来たのだ。
2012年11月16日金曜日
職人フォース
職人フォースとは
高い技能、感覚を伴う生産に携わる人間で
苦難や挫折を乗り越えてきた人間ほど力が強い。
発する力と感じる力に分けられる。
基本的に発する力を持ち合わせていなければ感じる力を持ち合わすことはできない。
人を感動させる技能こそ職人フォースを発する力であり
感じる力が強い人間は、映像や写真を通してても職人フォースを発する力の強さを
感じることができる。
職人フォースを持つことで感じる事
・職人から発せられる職人フォースを感じることができる
・一つの創造物、細かい個所に、現在に「形」至るまでの職人の喜怒哀楽を感じることができる。
職人の苦労を感じることができる。
・職人の「形」を作っている技に疑問を感じ、その疑問を職人から聞き出す能力を持っている。
・一般の人間には、見落としがちな職人技を問題点まで見抜く能力を持っている。
・職人技を短時間でコピーできる能力を持っている。
語源
フィールイメージ株式会社 社長の小林がフェースブック友達の技術品写真をみて、
その技術力を写真を通して感じた その感性を映画スターウオーズの架空エネルギー帯と
感覚が似ているため「職人フォース」と表現した。
2012年11月15日木曜日
広告激安ピレリタイヤを購入してわかったビジネス戦略
今日 なんか得する買い物をしたので
それをお客様の立場からと経営者の立場 両側面で書いてみたいと思う。
毎朝、地方紙の中國新聞を読むようにしている。
知っている経営者が出たりとかするので 要チェック
更に、経済状態も把握しなけれればならない。
で、本日の新聞の真ん中あたりに、オートバックスのセール広告が掲載されていた。
タイヤ 激安セール!!
来年4月 MPVの車検が迫ってきている。
実に11年目の車検になるのだが…
半年前にもブログで書いたが、現在1本2000円中古のヨコハマタイヤを装着している。
まだ、スリップサインは出ていないのだが、半年後の車検で引っかかる事も想定される
確かに中華タイヤは安いんだけど
なんだかね…
そう言う中、今日の新聞には
ピレリ 17インチ 4本4万円弱の広告!!
ピレリは、イタリアに本拠地を置くブランドだ!
F1にも採用されてるし
中華より 断然良い!
性能よりブランド重視と言う考え方だが
で、自宅から一番近い 広島は八本松のオートバックスに行ってきた。
新聞広告を見た人たちなのか、平日なのに結構な賑わいだ。
車を降りて、店員に話しかけると
新聞で見られたタイヤですか。
すぐ在庫を確認いたします。 と
倉庫の中に消えていった。
「お客様 お待たせしました。 在庫 ございます。 いつもありがとうございます。」
と、言う感じで、 ものすごく 対応が良かった。
ピレリの17インチのタイヤなんて 1本1万位で入手するのはなかなかネットでもないし
こんな時だけ 買いに来て申し訳ないね…
と、正直 思っていたので、
それを そのまま 店員に
「なんか こういう時だけ 買に来て 申し訳ないな。 っていう気持ちで」
って話すと
「何をおっしゃいますか。 こうやって 足を運んでいただけるだけで こちらの方としても
申し訳なく思います。」 と
「梱包しますので、もう少しお待ちください。
そちらにある飲み物 無料となっております。
どれでも好きなものを飲んでいただいて構いません
お待たせして 申し訳ございません。」
最後に、今回、まだ既存のタイヤが使えるので 持ち帰りと言うことになっているのだが
交換の際には、この金額(キャンペーン中の金額)でできます。
レシートでも会員カードでも出していただければわかりますので、
何かありましたら わたくし岡東と言います。 呼んでください。
と
こういう 取引 お客様として非常に気持ちが良い感じがした。
先日のホンダウイングもそうだけど
また、ここを利用したいな と思わせてくれる。
更に、最後 名前まで言ってくれている訳だから
指名で、対応させたくなる。
指名すると その人の売り上げ(成績)に反映されるわけで
最近のレシートには、対応した人の名前が印刷されているが、
それだけじゃ、指名できない。
やっぱり、私 ○○と言います。 いつでも呼んでください。
と言われることで、次回から指名したくなる気持ちにさせられる。
だって、たかがオートバックスでも その人から買った方が気持ち良いんだもん
色々 相談できるし・・・
ここまでが、購入側の感想。
さて ここからは、経営者的な側面で考えてみたいと思う。
正直な話、 こういうキャンペーンを使って、常連客の獲得は有りだと。
いつも、商品にある程度のマージンを乗せ販売する店もありだと思うが、
たまに、マージンを乗せないで、激安で販売。
極端な話 その時だけでもいい 店員に思いっきり優良な対応をさせて
(あるいは、外部からプロを雇って)お客様に良い思いをさせる
こういう時に、一気にファンを獲得し、
お客様にいつでも気軽に相談してもらえる。買ってもらえる環境を提供するのだ。
キャンペーンと言うのは、ただお客様に安いものを提供するだけではない
店の優良なサービスを知ってもらうチャンスとして実行するのは大有りだと思った。
僕も経営者として
安売りをするんだから お客が来るのだろうという 考えだけじゃなく
安売りをすることは、会社としても利益が低くなるわけだからリスクもある。
そうじゃなくって、こういう時だからこそ、お客さんに指名を頂くチャンスと
社員が理解し 安売りを使って固定客を獲得する。
そう言う風に考えるべきなんだな と 感じた 今日のオートバックスでした。
そして 初ピレリ! 入れ替えが楽しみ!!
2012年11月12日月曜日
NC700Xで行く被災地回り⑦ 「こういう若者が日本を強くするのだと思う」
どこまで書いたっけ・・・
気づけば、一か月も空いてしまっている。。。
ここ数週間 めちゃめちゃ忙しかったので 間ががっぽり抜けてしまった。
いやいや、たまに 待ち合わせの時とか、喫茶店とかで
スマートフォンにブルートゥースキーボードつけて一生懸命 記事書いてたんですよ。
そうそう 道の駅で若者二人に出会ったところだったよね。
道の駅の室内にロードバイクを持ち込み
一人は机で書き物をして、一人はiPhoneをいじっていた。
「大阪から来たんだってねぇ マシンガントークのおばちゃんから聞いたよ」と話しかけると
若者二人は、笑っていた。
龍谷大学の 松原君と前川君
しかし、関西から東北まで自転車で来るとは大したもんだ。
聞きたいことはいっぱいある。
バイクで東北を回るだけでも結構な荷物なのに
どういう荷物をもって移動しているのか
洗濯物は? 風呂は?
汗かくでしょ・・・
答えは、服は最小限で、どこかで洗っては着ての繰り返し・・・
え? 体臭くなるでしょ・・・
そういえば、僕もホテルに泊まれなかったので 3日間風呂に入れそびれている。
気仙沼のマルシェの時もそうだったけど
女性の前で話をするのが 少し気になっていた
体 臭っているんじゃないかな? と
すると 若者は、ドヤ顔で
「ファブリーズ!!」
マジで?あれ 体にかけてええんかよ・・・
でも 正直 その手はありだなぁ と思った。
そんなこんなで 色々話をした。
そうだ 今から どっち方面に向かうの?
今から 青森向けて 北海道に渡って
船で 福井の敦賀まで戻ります。。
という。
だったら 気仙沼も通るよねぇ!
一つ頼まれてほしいんだけど。
若者が不思議そうな顔をしていたが
気仙沼のマルシェでみやげの賃金を払い忘れていることを説明。
そして、その賃金 3000円ほどを小野寺姉さんに渡しておいてほしい。 と、たのんだ。 これも 何かの縁
若者は、快く引き受けてくれた。
そこから日が変わるまで、経営の話とか旅の情報を交換したりした。色々話して楽しい時間を過ごした。
松原君の方は、チャリで大阪~沖縄まで行ったことが有るんだと
色々な、経験を積んだらしい。
松原君も前川君も 経営者と言う立場の人間からして
とても魅力的な人間。
何故かって? そりゃ 「やり抜こうとする力」「チャレンジ精神」 それが一番だし
もう一つは、これだけの行動力もあるのだから、話題の引き出しも多いはず
話題が多ければ、人間関係に有利になる。
彼らは良い社会人になると思う。
さてさて、彼らも自転車で旅をしているわけだし
疲れさせるわけには行かない。
僕も、テントに帰って寝ることにした。
周りは真っ暗で 車の通りも少ない
非常に静かなところだ。
普通だったら怖いはずなのに、
近くでも 同じように旅をしている人が沢山おられると思うと なんだか心強くおもった。
そうだなぁ 自転車、バイク以外でも
車で車中泊している人は、結構いました。
何だろう 疲れもあるのか 頭痛もよくなっていたのか、すぅー っと眠りについていた。
5時ころ 目が覚めた。
テントのチャックを開き、外に出てみると
広がる風景が目に入る。
霧が立ちこめているが、なかなか気持ちの良い朝だ。
バイクの方へ荷物を取りに行くと
夫婦が、ベンチで朝ご飯を食べていた。
この人も、車中泊っぽい。 被災地を回っているのかな? って 考えていると、奥さんの方が僕に気づいて歩み寄ってきた。
リンゴを差しだし、余ったのでどうぞ。 っと
とても おいしかった。
こういう出会いで頂いたものって 何でこんなにおいしく感じるんだろうね・・・
リンゴをかじりながら、トイレに行くことにした。
あの若者が寝ていたところだ。
自転車だし、もう出発したかな・・・
建屋にはいると 人間の足が陰から見える
まだ 寝ているようだ。 起こさないように
そぉ とトイレをすまし、
とにかく、前日 通り過ぎてしまった南三陸に戻らなければいけない。
道中、宿泊を断られたホテルがあったな・・・
温泉とも書いてあったので 風呂にも入りたい
きっと 朝風呂もやっているだろう。
期待しつつ、走行の準備をする。
テントをたたみ、荷造りをする。
バイクに、積載し、色々準備をしていると
昨日出会った パワフルおばちゃんがやってきて
もう行きそうだったので、送りに来た と言う。
何とも 律儀な方なんだろう。
たぶん もう出会うことは無いと思うけど 忘れません。
そうそう まだ 寝ている学生諸君も
facebookでは友達鳴ったけど また出会う日まで・・・
ちょっと悲しい気持ちで、おばちゃんに 大きく手を振りながら、道の駅を後にした。
バイクだと 十数分走ると すぐに 昨日宿泊を\断られたホテルがある。 自転車だと 何時間かかるんだろう・・・ なんて 考えながら 温泉温泉!
時間は、7時位 朝風呂の時間だ。
昨日もお世話になったカウンターにまた出向き、
すみません。 温泉に入ることできますか?
と 聞くと、
カウンターの人が、申し訳ございません。 温泉は12時からなんです。。
と、
またしても 断られてしまった!
ここで、入っておかないと 今度いつお風呂に入れるか わかったもんじゃない・
とにかく 風呂があくまで 5時間ある。
仕方がないので、南三陸町を先に回ることにした。
ホテルからは、目と鼻の先
ホテルは、小高いところにあるので、南三陸を一望することができる。
昨日は、夜中で全く見えなかったが、 こうやって見てみると、ここもまた 津波で街の奥の方までなんにもなくなっている。
むぅ・・・
小高いところから、南三陸防災センターまで車載動画をご覧ください。
ここもまた、皆が知るストーリーがあるところ
テレビでは女性アナウンサーの事を知ってはいるけど
こうやって時実際に、近くにいるんだと思うと・・・
ここで、一生懸命避難を呼びかけていたのだと思うと・・・
ここもまた、海から離れているのに、3階部分の壁すらない。
申し訳ないけど、僕がここにいたのなら、津波が来ると言われても ピンとこないかもしれない
まさか ここまではこないだろう・・・と
津波に対するスケール、考え方をやはり変えなければいけないんだ。
僕が今住んでいる広島なんて、妻が働いている マツダなんて 完全に水没する イメージするなら宇品港から海田、商工センターが更地になったような感じ。
想像できます? 非現実的世界です。 それが実際に起こってしまったような世界です。
仏壇で、手を合わせていると、
一台、少し派手目な横浜ナンバーのワゴンが、入ってきました。
ごめんなさい そういう眼で見ていたのですが、
降りてきた若い夫婦
お供えものを沢山抱えて 防災センターに供えていました。
そのお供えものの量がすごい 気になったので、 声をかけてみた
すみません。 誰か知人でも・・・
と聞くと 旦那さんの方が
いや、そういう訳じゃないんだけど ずっとこれなかったんでね 申し訳ない という気持ちで・・・
車の格好とはぜんぜん違う人格でびっくりした。
すごい 良い人じゃないか!!
じゃ、先を急ぎますんで、 と横浜ナンバーのイカツイワゴンは走り去って行く
入れ替わりに、軽のワゴンが入ってくる。
横には、「お好み焼き」と書いてある。
もしや!! と思って ナンバープレートを見ると
やっぱり!!!
広島ナンバーだ!
これは、無視できない!!
広島から来られたんですか?
すると おっちゃんが そうよ! 君は?
僕も広島なんですよ!
おっちゃんは、献花代に行き、手を合わせている。
どうも急いでいるようだ。
また、運転席に戻って行く。
戻りながら、君 何日目?
そういえば、広島を出て3日目に入った。
すこし、自慢げに 僕3日目です。
1週間の予定で、東京まで南下しようと思っているんですよ。
と答えると、
おじちゃんは、走り去りながら
俺、92日目ぇ~! がんばれよぉ~!
と、叫びながら 走り去っていった。
かっこえぇ!!!!
っていうか ドヤ顔していた 自分が恥ずかしい。
世の中には色んな人がいるんですね。
こんな、被災地のド真ん中で不謹慎かもしれませんが
人と出会えること、話せること、つながれる事が スゴイ幸せと感じました。
震災は、そういうことの重要さも一緒に訴えているのかもとも思いました。
防災センター付近はどうなっているのか
少し奥の方までバイクを走らせ
とった写真です。
空を見ると 雲一つ無いいい天気になっている。
今日も暑そうだ。 道の駅から南三陸までは
霧で肌寒かったが、すっかり霧も晴れている。
時計を見ると まだ8時になるかならないか・・・
この分じゃ、温泉が開く12時まで待てっこない・・・
いっそのこと石巻まで行ってしまおう と判断。
南下のコースをたどる。
この道を通るのは3回目だ。
例の泊めてくれなかった、風呂にも入れさせてくれなかったホテルを通り越し、南下 南下
そういえば、野宿した道の駅も通ることになる。
若者二人が気になる。
さすがに もう出発しているだろう。
すれ違うだろうから、そのときに 風呂が12時からというのを 伝いといてあげようかと・・・
しかし、走ってもハシっても彼らに会うことができない。
なんだかんだで、結局 道の駅まで帰ってしまった。
どこか、違うルートで走っているのかなぁ・・・
と、また 道の駅によってみると、一人は、
外のベンチで爆睡 もう一人はテーブルでふさがって寝ていた。
オイオイ・・・ もう9時になろうかというのに こんなのんびりで ええんやろうか・・・
お~い おきろよぉ!
余計なお世話かもしれんけど 叩き起こす。
さすがに 出発せんとマズイんちゃうん・・・
なんぼ時間あっても北海道つけへんで・・・
外の生活に慣れると ここまでズブトくなれるのかぁ
と、もう一人の彼は どこでも寝れるらしい。
この間は コンビニの駐車場で普通に寝ていた とか
そうなんだよね、 本来 人間 どこで寝ても良いと思うんだが、なぜ周りに気を利かせなければいけないのかというのも 実は疑問。
トイレも我慢する生き物って人間だけらしいし
それが、社会 っていうもんかね
しばらく、また若者と話をし、温泉のことや南三陸の伝達をした後、 今度こそ 本当にお別れの時がやってきた。
すると、また あのパワフルおばちゃんがいた。
いやぁ 似たようなバイクがあって まさかなぁ って思ってたけど!
おばちゃんとは、今度こそ お別れだね って
握手をして、まだ そこから先 走ったことのない道を南下する。
2012年10月11日木曜日
NC700Xで行く被災地回り⑥ 「被災地 なぜここに来たの?気仙沼」
書きたいことがいっぱいありすぎる…
でも それを書こうとしたら時間がかかる。
時間が経つと、忘れてしまう。。
忘れないうちに、書いていかないと…
この被災地回りブログを初めて もう6回目なんだけど
しかし、実はまだ 広島の自宅を出てから2日目なんですよね…
5日の全工程を書き終えるまで 何日かかるんだろうか…
さて、前回 気仙沼の「気仙沼 鹿折 復幸マルシェ」に立ち寄った事を書きました。
更に、最後の方ですが、何か重大な事を忘れ、思い悩むことになると
そこまで書きました。
気仙沼 鹿折 復幸マルシェを後にし、バイクで南下していると
すぐ、ありえない場所に、ありえないモノが ドカン!と見えてきます。
それには、「第十八共徳丸」と書かれています。
この写真を見て思うのは
左に僕のバイクを写しているのですが、テレビで見る思っていた以上に大きい船であったこと
このような船が、日頃生活しているところに押し寄せてくるなんて…
恐怖以外言葉が無い。
ふと、気づいて 周りを見渡すんです。
「海が見えない…」
どこから来たのか… こんなに遠く離れた場所まで こんなに大きな船を動かしてしまう
その津波の威力とは どこまでのものなのか…
想像するだけで、痛いです。
いくつかの写真を置いておきます。
更に、バイクを走らせ、気仙沼の港の方に向かいます。
少し活気があるように見えました。
googleのストリートビューでは、散々な状況が写されていますが
人と言う生物は 生きるということで ここまで短期間に発展できるのか…
そう思わされる一瞬でした。
車が行きかい、人が笑いながら立ち話しているのが見えました。
しかし、少し中に入ると またさら地が広がっていました。
大型トラックが、砂埃を巻き上げながら たくさん走っていました。
(気仙沼赤岩港地区)
ちょっと、ここからはうる覚えで、一応メモと言うことで通ったルートを記す
赤岩港付近をバイクで走った後、行き止まりに遭い、
県道26号線を北上 多分紳士服コナカ気仙沼店で左折している
(38.893638,141.567931)
曲がった瞬間、あ・・・ ここは元気だ そう思った。
色々な店が並び 普通に生活しているのが見えた。
ここを通過するころ 丁度17時になっていた。
気仙沼バイパス 国道45号線に戻り
再び南下を始める。。
次の目的地へ走っていくわけだが、 とにかく土地勘が全くないもので
多分、次の目的地は あの伝説の女性アナウンサー職員がおられた南三陸の防災センターかな・・
と走っている訳だが…
そもそも どれくらい時間がかかるのか と言う問題と
日が暮れだしている と言う問題と
今日の寝床・・ と言う問題を解決しなければならない。
日が暮れてしまえは、南三陸防災センターを多分暗くて見ることはできない
なんでだろう この時、スマートフォンで調べなかったな…
電池がもったいなかったのかな…
明るいうちにひたすら走ればどうにかなると思ったのか…
なんだかんだ考えながら 国道45号線を走ってる。
国道を走り始めて
何分走っただろうか・・・
コンビニに寄った。 トイレを済まし 出たところ
あるお母さんが車から出てこられ声をかけてくれた
どこから来たの?? と
一連の話をしたら、お母さんが、なぜここに来たの? と尋ねてきた。
そうなんですよ…
実は、それを聞かれるのが一番怖かったりしたのです。
自分の中で、遊びじゃないのは分かってるし、分かってほしいのです。
でも、言い方を変えると 「見物」には、間違いないのです。
正直、後ろめたさも感じながら周っているのです。
お気づきでしょうか 私 このブログで、「被災地めぐり」という言葉を使っていないのを…
○○めぐり… 人それぞれに考え方は有ると思うのですが、○○めぐりと言う言葉は、観光地に使う言葉だと思うんですよ。
ここで、言いたい!
「被災地は、決して観光地では無い!!!」
僕の中での位置づけは、社会勉強 経営者としての情報収集と 自分自身の改革
自分の目で見て 自分で聞き、感じて 決して遠く離れた広島では感じることのできない情報を入手し、生活に反映させること
事件は会議室で起こってるんじゃない! 現場で起こっているんだ!
僕の会社の合言葉「Don't Think!! Feel!!」 考えるな! 感じろ! だ!!
ただ、ボランティアをしに来たわけでもない。 ただ自分を変えたい そう思うだけで 被災地に来ているのだ。
だから、震災直後なんて申し訳なくて行けるわけもなく、1年半経って、ようやく こういう風に思っている人を
被災地の方々は許してくれるだろうか… そう思って、回っていたのだが…
いざ、単刀直入に聞かれると やはり心苦しい…
申し訳ない気持ちで、その気持ちをお母さんに伝えた。
『そしたら、怒られた・・・』
「なぜ、もっと早く来てくれなかったの??」 と…
このお母さんの言葉は、ものすごく意外だった。
また 後日紹介する 石巻フリーカメラマンの阿部さんもfacebookで怒っていたが、
少し、文章を使わしてもらいますが、
「被災地にきても、手を合わせない、車から降りるとハイチーズです。
被災地見学、何をしに、何を目的にくるのですか? 平気でタバコを捨てて行く、」
この文章を見て、僕も被災地に足を踏み入れる その動機は、こういう人たちと本音は変わらないんじゃないかな…
そう思っているのです。
人間の怖い部分です。
そのお母さんも その部分に関しては憤りを感じていたようです。
震災直後でも嬉しげに写真を撮りながら見物している人々がいたそうです。
実際に、そういう人を取り締まる部隊も組織されたそうです。
ただ、お母さんが言うには、顔を見ればどういう目的で被災地に入っているか区別できたそうです。
で、そういう話の中で、
「あなたは、自分の目で見たもの、感じたもので周りを変える能力を持っている 私はそう感じる
そういう人はね、ボランティアとか何かしなければ… と言う目的で来なくても良いの
ただ、見て帰るだけでいいの。 ただ 残念なのは 貴方みたいな人にもっと早く来てもらって
被災直後の状況を見ておいて欲しかった。 悪夢は薄れつつあるのよ」 と
嬉しいような、悲しいような言葉…
ただ、この言葉で、自分の何かが変わったのも事実
こうやって、単発ながらも へたくそな言葉でも どうにかして身近な人に伝えたいと ブログを続けているのも
この人との出会いがきっかけかもしれない。
震災が起こらないにこしたことはないが、
もし、僕に伝える能力が有るのならば… そう言えば僕は技能を分かりやすく伝える と言う仕事をしているのだが
そういう面で腕を上げ、更に影響力を持つ人間になれたのならば
自分の「Don'tThink!! Feel!!」を伝えていくことができるのではないか…
そう思える瞬間だった。
何より、被災地のお母さんに 今、自分が起こしている行動を 「許してもらえたこと」が
すごく嬉しかった。
1時間くらいコンビニで話をして、
別れ際、名刺交換をした。
このお母さん、ものすごく優しい人で、facebookでも紹介したけど
広島に帰ってしばらくして、「無事に帰られましたか?」と電話をくれたお母さん
よく聞くと 僕と同じ年の息子がいて、自宅に帰って娘と僕の写真付き名刺を見て ものすごく似ていると話をしたらしい
だから、他人とは思えなかったと…
是非、気仙沼に来た時には、私を訪ねてきて欲しい… 色々名所を紹介したいと・・
息子の事については、深く話をしませんでした。
ただ、とても優しいお母さん いつか必ず 伺います!!
お母さんとコンビニを後にし、また南三陸に向けて走り出す…
話し込んでしまったので、あたりはもう真っ暗…
このままでは、真っ暗のままで南三陸町を越えてしまう…
それは、非常にマズイ…
超えてしまったら、まず もう防災センターを見れない
少々辛い思いしても 努力してみなければならないと思った。
宿を探さなけれな… バイクで走り出す…
でも、本当に良い人だったなぁ…
⑤で出会った小野寺お姉さんもそうだし…
と、思い返している最中… なんか 不安がよぎった…
「小野寺お姉さんに 土産の代金払ったっけ… え? え?」
時系列で思い返す…
どう考えても 財布を出した記憶が無い…
土産物何品か と更に お茶まで頂いているのに… なんという事だ!!
今から 戻るか・・・ いや もうさすがに遠すぎる…
そもそも、被災地でお金を使う事 そしてそのお金をまた被災地の人に使ってもらう事が目的なのに
何やってんだオレ!!!
自分のダメっぷりにスゴイ落ち込む…
何とかして、お金を渡さなければ 目的を達することができない。
振込、現金送付… いろいろ考えた…
でも 多分 小野寺お姉さんの事だから 受け取ってくれないんじゃないかとも思う…
その前に、まず謝らなければ…
すぐ見つけたコンビニに立ち寄り、小野寺お姉さんの名刺と携帯電話を取り出す
出てきた小野寺お姉さんに
「多分お金払ってない… 本当に申し訳ありません…」
と謝ると 「え? そうだったっけ… 盛り上がりすぎてわかんなかった…」
と優しい声を頂いた。
その上、私も色々勉強させてもらったので 代金は良いですよ(^^)
と・・・
自分の馬鹿さ加減に反省しきっきりで・・
いつか、お礼はさせて頂きます。 小野寺お姉さんの気持ちをありがたく受け取りました。
とても反省し、凹んでいた事件だったのですが、
なんと、この後 この事件が 新たな出会いを生むことになり
忘れられない思い出へと発展することは、まだこの時の僕は知らないのです。
話は、また旅に戻り暗い道中 必死に寝どころを探しています。
この時、まだ タイミングが良ければ 民宿、旅館ホテル なんでも1泊は泊まれたら良いな… と思っていた。
泊まって、ゆっくり体を休め、被災地周りの記録の整理とかできたらな… とか…
でも その考えは甘かった…
本当に 何にもない…
広島でいう 何にもない じゃない…
被災の影響で何にもないのだ…
しかも、道路も海抜が低い所はひどく荒れていて 街灯も無い
たまに プレハブでできたコンビニとかもある。
これは、まずいぞぉ 南三陸町に入ってしまうのではないか…
そう思っていると、小高い所に、ホテルらしき建物が… 3階建てで50m位の幅ののある建物
明かりも点いている。
やったぁ! 今日は ここに止まらせてもらおう! とどんどんそこにバイクを進めていくが
入り口を見て がっかり…
「シルバー○○苑」
マジかよぉ・・・ 泣きながらUターン…
更に走っていると
なんだか とっても不気味なところに出た…
まず、見えたのはスゴイ遠くに大きいホテル… これは間違いない! 喜ばしい事なのだが…
そのホテルが暗闇の中やけに目立つ どうも 海の小高い丘に建っているらしく 波にその明かりが反射してまるで
ホテルがさかさまになった状態で2つのホテルが見える・・・
でも、僕が今走っているところから少なくても5~6km離れたところなのに、
間がまるでブラックホールのように真っ暗…
陸と海との境も全く分からないし、街灯の一つも点いていない…
そして、その暗闇部分に入っていく…
直感した
「南三陸町だ・・・」
正直、ものすごく怖かった。
暗闇の中、周辺に何かが有るのだけ分かる…
これは、ダメだ… 心が折れそうになる… 早くあの明かりが有るホテルを目指さなければ…
「街」であったであろう場所を通過し、また峠に入る
しばらく走ると 有った!! 結構デカいホテル!
「南三陸 ホテル観洋」
高そうな雰囲気… でもこの際 関係ない… 今日はここで休むぞぉ!! とカウンターを探す
カウンターでのやり取り記録
「すみません… 部屋空いてますか?」
「申し訳ございません、本日満室でございます」
「近くに泊まる所有りますかね…」
「ここですと もう 気仙沼か石巻にしかございません」
落ち込みながらバイクに戻る…
今更気仙沼まで戻れない…
更に追い打ちをかけるように スマホの電池がヤバいことになっている
一つの方は、陸前高田で電池が反応しなくなったため、充電されているのか されていないのかもわからない状態に
仕方なくもう一つの方の予備電池を入れていたのだが、それがいつの間にかバッテリーを喰っていたのである。
なんか 便利なようで不便なツールだねスマホって…
裏でアプリが動いていたようで 画面は真っ暗なのにスマホ自体は熱を持っている。
まぁ、スマホが無くてもしばらくは下道を南下で昼間しか走らないので
福島県に入るまでに対策すればいいか… と言う事なんだけど…
やっぱ バイクでスマホをナビ代わりに使うのは無理があるね。。。
帰ってきてからの思いついた対策をメモ
基本、今まで通りスマートフォンをナビかわりに使用
しかし、積載物の中に追加するモノ
個別電池充電器(電池だけ充電できるヤツ)・SANYOゴリラ
今の自家用車についている取り外し可能なポータブルナビ
これだけあれば 完璧だろ…
話は戻って…
今日の寝床である…
南三陸からなるべく遠ざからないように… 明日の朝いちばんでも引き返せるなるべく近い場所での寝床を求めて
更に走り出す…
ふあんだぁ…
どんどん 南三陸町から遠ざかっていく…
どうしよ どうしよ… と考えていたら 道の駅を発見!!
しょうがない! 今日は ここで野宿だ!!
ってか もういい!! 分かった!! これから広島に帰るまで 全部野宿で決め込んでやる!!
バイクを駐車場に進める…
バイクの先客がいるらしく 男女のカップル?? 男性の方が同じNC700Xで 女性の方がCBR600だったかな…
その バイクが置いてある付近にバイクを止める。
まず、トイレに行く・・・
帰ってくると、何やらその男女が 地図を広げ片手に携帯を持ち、もめている…
どうしたんですか? と聞くと
泊まる場所が無くて困っているんです… と
同じ悩みを抱える人発見…
僕 さっき ホテルで 一杯ですって断られたばっかりなんですよ…と言うと
色々なところに 電話して聞いてみているんですけど 全部ダメで… と男
僕は、もうあきらめて ここに野宿することに決めました!
と言うと 男は、うぅ~ん… 明日の昼に仙台から出るフェリーを予約していて
それに間に合うように走らないといけないんですよね…
時計を見ればもう21時近く… そして仙台までは まだまだ・・・ 間に石巻もある
そうなんですかぁ・・ 結構キツイですねぇ・・・
とアドバイスも出来ず また男女で色々話し合っていた…
僕はと言うと、こういう雰囲気の中 テントを設営するのが気まずくなって
そうだ… スマホの充電がエンジンをかけてなくてもできるように バッテリーに直結する改造をしようと
バイクを街灯の明かりが届く下まで移動させた。
走ったり止まったりしているこの道中
走行中オルタネーターで充電している訳だから エンジンを切っても数時間は充電できるし また走れば減った充電分を取り返してくれる
と考えた。
だったら、飯食ってるときとか 見て回ってるとき、 人と話をしているときの時間も充電できるジャン と…
その直結作業に取り掛かる。
なんとか 積載していた部品でできた。 作業30分弱…
振り返ると まださっきの男女が話し合っている…
この人たち 大丈夫なのだろうか…
と思いつつ・・・ なんだか 頭がズキンズキンと痛み出した…
あぁ・・・ 頭痛が来た・・・ こうなるとかなりしんどい…
多分、バイクに乗って ずっと同じ姿勢で 肩も緊張し その解放から来たんだろうな…
これは、休まなければ…
テントが張れるところを物色 どうも施設内に 大きな芝生の公園がある 自由に入れる
例によって 目立たない場所を探し、そこにテントを設営
いつもなら22時くらいに嫁から電話がかかってくるんだけど
今日は、無理… こっちから電話をかけて 出てきた嫁に
「うぅ~ん・・ 今日は頭が痛い… もうねるぅ…」と電話を切る…
そして、そのまま テントの中でくたばっているのだが
頭が痛すぎて、じっとしていられないし寝られない…
テントの中は、若干体温であったかくなるので なんか涼しい風が欲しくなった…
アカン… 外でて涼しい風に当たろう…
テント近辺には芝生だったので 座っていたら怪しまれるかな…
と言うことで、バイクまで戻りその横に座って休んでいた その方がさまになると思ったので…
しばらく休んでいると おじさんが声をかけてきた。
今、声掛けないでぇ!! と思ったけど でもこれもまた 何かの経験につながるかもしれない と
話を合わせることにした。
そのおじさん、横浜から夫婦で来ていて しかも複数回来られているという。
昔、HONDAウイングで働いていて 僕のバイクにも関心が有ったとのこと
しばらくすると 奥さんが建屋から帰ってこられ、
また、この人がパワフルお母さんで…
マシンガントークを炸裂させる!!
被災地に行く目的、今飼っている犬の話、お父さんの話 どんどんと話が展開されていく
話しかけてきてくれたお父さんは、突然無口になり
そして、ウロウロしだす・・
何回か奥さんのマシンガントークを止めようと試みるが 幾度となく失敗する。
しびれを切らしたのか、おとうさん
「ね・・ この方もバイクで疲れているんだから このくらいにしておこうよ・・・」と
そしたら お母さん そうだね! でも 本当に気を付けてね!! と言う事と同時に
さっきね、建屋の中で関西から自転車で来たという若い二人組にあったんよ
きっと 話が合うはず! 行ってごらん!
と・・・
気づいた時には、パワフルお母さんに圧倒されたのか… 頭痛が治まっていた。。
パワフルお母さん 被災地で主人を無くした犬を 運命を感じて連れて帰り 今は支えあって生きているという
とても涙もろくて温かい人。
そう言えば、道の駅に入ってすぐ便所に行ったとき 隣のご飯やでロード自転車が2台止まっていた
その彼らが、今は本館の建屋の方に移動していたのね…
旅は道連れ余は情け… その建屋に入って彼らに声をかける
しかし、この若い彼らとの出会いが 「土産賃金払い忘れ事件」の解決させてくれるのです。。
2012年10月3日水曜日
NC700Xで行く被災地回り⑤ 「気仙沼 鹿折 復幸マルシェ」
フィールイメージの小林です。
なかなか 話が進みませんね…
仕事が決して暇… と言うわけではないのですが、
その合間をぬって 書き溜めれますので そこはご愛嬌
前回は、陸前高田市内の状況を動画と写真でお伝えしました。
今回は、気仙沼に入ります。
陸前高田から、気仙沼に抜ける道中 港が見えました。
何隻かの漁船が停まっており 漁師さんたちが 何やら働いているのが見えました。
活気を取り戻しつつあるのかな…
今回の旅では、色々な経済状況を自分で確認するのも一つの目的
漁師さんに話を聞いてみよう!
と言うことで、港に降りて行った。
めちゃ カモメがおるし・・・
しばらく 遠目で漁場の方々を観察し、近づいて声をかける…
「何を取られているんですかぁ?」
次の瞬間 あ・・・ 話しかけるんじゃなかった・・・ と後悔が襲う
「サカナば☆ДшЮ◇ξ※、Λ⊆шσ!」
理解できた言葉は、サカナ だけ・・・
激しい ずぅずぅ弁で 内容がさっぱり 分からない・・・
返事に困ったので
とりあえず、先行 先行で
「あ・・・ 僕 広島から来たんですよぅ。」
すると
「ヒロシマば☆ДшЮ◇ξ※、Λ⊆шσ!」
やばいぃ!!!
もう 曖昧に返事するしかない・・・
「へぇ・・」 「そうですかぁ・・・」 「すごいですねぇ・・・」
この3ワードをサイクルさせる・・・
いつの間にか、僕の手の中には、小さい赤ちゃんホタテを手渡されていた。
これ どうしたらいいんだろう・・・ と 悩む中
最後に、皆さん 元気そうでよかった! がんばってください! と漁師さんたちを後にした。
これはこれで、良い思い出。
これまで、ずっと被災の暗い所しか見ていなかったので、漁師さんの活気に少し元気づけられた
さて、先へ進まなければならない
港から国道へ出るまで 1km位の峠岬を登らなければならない
走行中 ふとスマートフォンの充電状態が気になった。
走行している間はずっと充電されているはずなので、ずいぶんたまっているはず・・・
と、期待して 充電を確認してみたが ってか 電源すら付かない・・・
(スマホ電源の問題起源は③ブログを参照)
いったいどういう事だ!!
岬峠の木陰でいったん停止し
ひょっとしたら、12V-USB変換が、ぶっ壊れたかもしれない と思い
違う充電方法として 面倒くさいが
12Vから家庭用100Vへの小型インバーターも持ってきていたので
それをかえしてタブレットPCにつなぎ、そこからUSBで給電するという荒業を取った。
ところが、タブレットの画面を確認してみると バッテリーで動いているアイコンが出ている
「電源が来ていない・・・」
と言うことは、シガーソケット分配機に問題が有るのだ・・・
しかし そのシガーソケット分配機 なんと バイク車体のバッテリーの奥に入れ込んでおり
いろいろ部品を外さないと たどり着けないところに置いてあるのだ・・・
これも、旅の醍醐味! ここに腰を据えて修理するか・・・
と、メットインの中に入れている荷物を全部取り出し
車載工具の+ドライバーで、バッテリーカバーのネジを緩める・・・
かなり きついぞぉ・・・・ 力を入れてぇ~~~!!!
「グニィ!」
ドライバーの根元がバカになった。
もう そっから ぐるぐる回るだけ・・・
なんじゃ この ちゃちな車載工具は・・・
頼みのこの+ドライバーがこんなんじゃ もう修理することもできない・・・
しょうがない ホームセンター見つけて 修理部品を購入するしかない・・・
また、荷物をメットインに詰め込んで 走り出す
国道(気仙沼バイパス)を走っていると しばらくして 気仙沼市街コチラ となっていたので
そちらに曲がろうと思ったが、丁度 そこに ホームセンターを発見!!
立ち寄ることに。
まず、格安のドライバーセットを購入。
そして、分解作業に入る。
奥から、シガーソケット分配機を取り出す。 原因はなんだろう とシガーソケットの♂差込部を分解してみる
中から出てきたのは、ヒューズ・・ よく見てみると ヒューズの中の線が切れている。
これかぁ・・・ と言うことで、再びホームセンターに入って 同じヒューズと
そう言えば、朝から何も食べていない・・・ ってか朝も食べてない・・・ もう14時を越えている
なので、10秒チャージも一緒に購入。
チャージしながら ヒューズを直した。
自分ながら、これで完璧! 今度こそスマホが充電できる! と思い込んでいた。
実際には、充電されていない状態で また 国道に戻る。
何故、充電されていないか・・・ それは また 後日
気を取り直して 気仙沼市街に入る。
腹減ったなぁ・・・ やっぱ 10秒チャージだけじゃ戦はできんぜよ・・・
なんか よさげな店が有ったら 入ってやろう! と そういう気分で走行していたら
すぐ なんだか ブレハブで作られたショッピング街を発見!!
雰囲気が賑やか。
あ! なんか 面白そう! ここに 寄ってみよう!
バイクを止めて、色々な店を散策する。
とにかく 腹減ったので、「食事亭 塩田」に入ることにした。
おいしそうな 丼を注文する。
すると、店主が、良いカツオが入ってるから それを乗せても良い? って聞いてきたので
じゃぁ それで お願いします。 と出てきたのが これ!!
これねぇ・・・ やばかった!
②ブログでも海鮮丼食べてるけど 比べ物にならないくらい うまい!!
特にね、 このカツオ!! こんなカツオ食べたことが無い!!
カツオって こんなトロッとした感触 持ってるんだ・・・ と
結構衝撃でした。
オーナーの奥さんでしょうか、 このカツオ めちゃめちゃうまいですね。 って聞いたら
これ、今朝市場で落とすことができたんよぉ めったに手にいてることができない代物よぉ と
なんか、天然でホンモノはこんなに味も触感も違うんだ… と改めて思いました。
ここの、店主とも色々お話ししたかったのですが、違うお客様と楽しそうにお話しされていたので
邪魔するわけにもいかず お店を後にしました。
お土産も買わないとね!!
今回、いつもの旅より 多めに買う事、色々な近所、関係先 範囲を広げて配る事 そして生産地に陸前高田や気仙沼、石巻など
被災地の地名が入っていることを条件に挙げている。
お・・ なんだか 良さげな店がある。
「小野寺商店」
中に入ってみる。 中にはお姉さんが一人。
何を買おうかと物色していたら お姉さんが声をかけてきてくれた。
広島からバイクで来たことを話すと 驚いていた。
「僕、一本松が伐採されるのを知って、ホンモノが見ておきたいって思ってきたんですよ」
「え? もう1本松って切られちゃったんですかね・・・」
「あぁ 僕が陸前高田を出る時には、もう枝は全部切られていましたねぇ・・
そう言えば、映像を取っていますので、見られます?」
と、聞くと 見たいみたい! と言われ カメラをセッティングしていると
まぁ、ここにでもゆっくり座ってください コーヒー準備しますんで。
と、テーブルに案内してくれ、コーヒーまで出してくれた。
僕は、その時 一つ気づいたことが有って、
地元の方々にとって、一本松は復興の象徴であり、 でもそれぞれの方が 明日のために生きており
一本松を気にはかけてはいるが見に行くことはできない。
だから どうなったのか気になるようなのだ。
そう言えば、漁師さんにも一本松がどうなったか・・ と聞かれた。
それくらい、地元の人々は、一本松を愛しているんだな・・・ と。。
動画再生のセッティングができたので、お姉さんにお見せした。
2分ほどの映像 切断された瞬間が画面で流れる。。
動画が終わる・・・
「こんな感じだったんですよ・・・」 とお姉さんを見上げると
なんと 目からは涙が落ちているじゃないですか!!!
「えぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」 まじっすか!!!
お姉さんも なんで涙が出るのかわからん という。
もう 本当に お姉さんの涙には驚かされました。
どんだけ一本松の存在 大きいねん・・
この話をきっかけに、話は大いに盛り上がり
色々な被災のお話を聞くことができた。
写真は、著作物なのでここでは出せないけど
小野寺姉さんの自宅が基礎部分だけ残されて その隣に第十八共徳丸っていうデッカイ船が押し寄せてきている写真を見せてもらった。
この船の隣の家、 私の自宅・・・
もう、自分の中で強烈だった・・・
なんか、こっから 聞いて良い世界なのか、どうなのか・・・
えっと・・・ ご家族は・・・
聞くと 全員 無事で、偶然も重なって家族で高台に避難することができた とのこと
なんか その話を聞いた瞬間 ホッとした自分がいることに気づく
「生きていてよかった・・・ 本当に・・・」
小野寺姉さんとの出会いは、本当に良かったと思う。
そうそう! お土産を買わなければ!!
いくつかのお土産を手に取り、
小野寺姉さんに これ買って帰ります。 清算しておいてください 僕 ちょっとバイクに名刺取りに行きますので、
と、店の外に出る。
バイクから、名刺を取り出し 店に入る そして姉さんとその頃には店に帰っていた旦那さんに手渡す。
すると、姉さん 僕の名刺 写真付きなんだけど
「カッコいいねぇ!! カッコいいねぇ!」と連発し レジ机のマットの下に見えるように入れようとするので
イヤイヤ それはさすがに恥ずかしいですわ・・・ と訴える・・・
えぇ?? と言いながら 飲み物陳列に行き お茶のペットボトルを手に持ち
これも 入れておいてあげるから 飲んで!
っと お土産と一緒に入れてくれた。
僕、みんなと一緒に写真撮りたいです! って言うと 快く引き受けてくれた。
外に出ると 隣のお茶屋さんのお母さんが表に出ておられて、
これまた、シャッターをお願いした。
それが、この写真!
本当に、とってもいい方々です。
また 絶対行きます!!
そして、広島にも来てもらおうと思います!
近所のショージで復興物産店 を企画しようかな と・・
あぁ・・ その時に のちに出会う大学生にも来てもらうと スペシャル面白いかも!!
渡航費ぐらい出すよ!! ・・・ いや 大阪から広島まで自転車で来い!!
と、 まぁ そんなこんなで、そろそろお別れしなければならない。
その時には、小野田姉さん 旦那さん お茶屋のお母さん でお見送りしてくれた。
皆さん 本当にありがとう!! また必ず 3年以内に伺います!
また 更なる活気を見せてください 楽しみにしています。
それから、このブログを見ている方々
気仙沼にお越しの際には、是非 「気仙沼 鹿折 復幸マルシェ」に立ち寄ってみて下さい
本当に、心温まります。。
っていうか、皆さん 今までの小野田姉さんとのやり取りで、なにか「大事」な事を忘れているのを
お分かりですか?
次回、それを思い出して、とっても焦る事になるのです・・・
そして、若者よ・・・ 次回登場か・・
2012年9月26日水曜日
NC700Xで行く被災地回り④ 「被災地を見て回る その目的を考える 陸前高田」
フィールイメージ 小林です。
陸前高田での走行を動画と写真でまとめてみた。
写真は、クリックすると大きいサイズが見れます
奇跡の一本松から離れ、山のほうへ行ってみる。
本当に 何も無い・・・
テレビで見覚えのある スーパーが見える。
行ってみよう。
ここで、初めて 津波の恐ろしさを知ることになる。
正直な話、 道は整備されていて がれきも一箇所に固められている。
要するに、人の手が付けられているのだ。
が・・ まだ 更地に建っている建物の中は人の手が付けられていないのだ。
屋上で難を逃れた人の恐怖を感じることができる。
ありえない箇所に、ありえないモノが引っかかっていたり、
奥に見えるエスカレーターもボロボロ…
1階部分 中心少し右に引っかかっているトレーナー 1年半もあの状態なのか…
がれき一つ一つにさまざまなストーリーを感じさせられる…
次に行ったのが 陸前高田市民会館
そこまでの走行映像はこちら
こちらも 心が痛い・・・
書類が山積みにされ、めっちゃくちゃの状態
向かいの陸前高田市役所
3階建てなのに すべての窓が跡形も無くなっている。
陸前高田市民会館から見た ショッピングセンター マイヤ
陸前高田市民会館から写真に見えるキャピタルホテルまで 何もない…
有るのは、がれきの山だけ・・・
googleマップでは この記録を書いている現時点では、まだ被災前のマップが出ているが
この間には、ローソンとかドラッグストア それに電車も走っていたようだ。
まったく あと影も無い
きっと ここには母と子供の像があったんだろうな…
そして、次に向かったのが陸前高田市民体育館
ここも よく新聞やテレビで紹介されているところだ
まず、先ほどの陸前高田市民会館から陸前高田市民体育館までの
道のり動画です
道のりの動画を見てもらえば分かると思うけど
普通の街を走っているのと 間違いなく違う その雰囲気が伝わりますでしょうか…
まず 目に入ってくるのは、放置された原型の無い車です。
プリウスでしょうか…
こっちが正面でしょうか・・・
ひどい状態だなぁ… とカメラを構えているのですが・・・
近づいていくと もっとひどい状態・・・ 思わず息をのむ惨状を目のあたりにします。
なんか 奥に車が見える・・・ どうやって入ったんだ・・・ 思わずそう考える時間でした。
裏側に行ってみました。
そこで、呆然となりました。
確か、ここでは 屋根の骨組みに上り 助かった方がおられる と聞きました。
想像を絶する風景です。
色々考えさせられます。
屋根に登って 助かった?? なんだ この鉄骨の曲がり具合は??
ステージが有ったのか? そこだけ弱くて 一気に海水が放出されたのか??
とにかく、写真では伝わらないインパクトのある惨状です。
実際に見た人でないと この悲惨さはわからない。
あまりの衝撃の強さだ。
陸前高田市民体育館の周りを散策してみる。
何があったんだろう…・
ぶっとい鉄骨がグニャグニャに曲がっている。
広島に帰ってきたときに、誰かが 津波が来た時も 何かにつかまっていたら 助かるんちゃうん と言っていたが、
僕も水泳は得意な方なので、(2km位は泳げるので)助かるだろう・・・ と今まで安易に考えていたのですが、
この鉄骨の曲がり具合をみて 鉄がかなわないのに、 人間の骨と筋肉がかなうはずない…
自分が、どれだけ愚かであるかを思い知らされた。
「自分は助かる」という 思いは 無残にも飛び散り、自分の行動に後悔する事になる。
津波注意報が出ているとき、嬉しげに見に行っている人が今でもいるが、
絶対にやめた方が 良いと思った。
こんな風になるから…
この鉄骨の近くで 更地にぽつんと モノが置かれているところが有った・・・
なんだろう・・ と近づいてみると 風化で痛んだボールと
?? アルバム?? が有った。
アルバムを少し開いてみた
津波の影響と1年半放置されていた事もあり 風化が進み 少し手を触れると
ボロボロとビニールが剥がれる。
慎重に開いてみると 時折 特定人物が載っている写真、 結構きれいな状態の写真もある。
ふと考えた アルバムが見つかった事で元気が出た人もいるという。
この人を ネットで写真を掲載して 写真をお返しすることができるのではないだろうか… と
そう考えたが、それが出来るなら とっくにやっているんじゃないかなと・・
何故 みんなやっていないんだろう・・・
要するに、個人情報保護法が引っかかっているのか・・・ と気づく・・・
なんだか 窮屈な世界です。
確かに、見方を変えると 見つかってほしい写真とは限らない
顔が一般に触れるだけで訴えられる可能性もある。
そう考えながら、何枚かアルバムをめくる
けっこう 可愛い女性が いつも中に写っている。
盗み見とか趣味じゃないけど いつの間にか「男」になっている自分に気づく…
情けないというか…
だからこそ、こんな感情もわいてくる
「この女性 生きてるよね・・・ 生きていますように・・・」
陸前高田 最後に向かった箇所が 高田高等学校
ここは、以前、24時間テレビの企画で嵐の桜井君が訪れた場所だ。
まず、目を引くのは、「捜索終了」と言う文字
いつから掲示されているのだろう…
写真ではわからないが、僕の中では この掲示板の存在感は相当なものが有った
人の色々な想いがこもった「捜索終了」なのである。
桜井君も紹介していた 靴箱
先生だったんだろうか・・・ 表には「ありがとうございました」と文字が刻まれており
中には、花が添えられている。
この人は、きっと 愛されていたんだろうな・・・
一人一人にストーリーがあって、そのストーリーに支えられて生きてきた人もいる
この靴箱 一つ一つにストーリーが有って、被災ですべて無くなった中での 唯一ストーリーが詰まった空間。 そう感じた場所だった。
校舎から少し離れて 体育館? と言う場所に来てみた。
波がズドンと押し寄せる その威力を感じる。
写真で見るより 建物はとても大きなものです。
体育館の中を覗いてみましたが、 もう 何がなんだか・・・
色々なモノが流れ着いて ぐちゃぐちゃです。
天井に、服やら新聞やら 引っかかっています。
いわゆる そこまで津波の高さが有ったことを意味します。
体育館の天井ですよ・・・・
体育館側から見た校舎
被災した体育館のそばで咲く花
っていうか、遠くから見たら 体育館が津波で動かされて 校舎にめり込んでいる。
信じられない…
最後に、高田高等学校から奇跡の一本松付近 高台の方へ抜けるまでの
走行動画です。
2012年9月14日現在の状態です
陸前高田を周ってみて気づいたことを少々
僕が、被災箇所を周っている間、何グループかのツアーと遭遇した
被災所ツアーと言うものが存在するらしい。
この被災所めぐりツアー あなたはどう思いますか??
広島など遠く離れた影響のない所に住む人からすると とんでもない!
と、思うかもしれない。
人の不幸を儲けに使うなんて・・・ と 思うかもしれない・・・
でも こうやって実際に被災地に足を踏み入れて思うことは、
ツアーであろうがなんであろうが、どんどん来るべき! だと思った。
現場を見ないで、何を語れるというのだ
被災地の方 何人かとお話ししたが、その方々、皆 どんどん来てほしい と言う
支援しないといけない とか ボランティアしなければ とかなんて考えなくていい・・・
ただ 見て帰るだけでいい・・・ それだけでいい・・・
次回は、気仙沼です。
元気の良いお姉さん 大学生の登場です。
辛さの中で 元気の出る話になりそうです。