2012年12月22日土曜日

NC700Xで行く被災地回り⑪ 「夢、目標とは何か」in広島 最終回

今日で、 被災地廻りの旅も最終回になるだろう・・・
僕の旅は、いつもこんなもんだ・・・ 出だしは元気、 でも すぐ帰りたくなる…

福島原発も回避して いわき市へ出た。

本来は、いわき市からも 下道でどんどん 東京まで行く予定だった。 
でも これは、行に考えていたルート・・・

現実的には、こうそくを乗ってしまえば、楽に東京まで帰れる 

下道を ずんずん 南下するが、 高速道路の看板 いわゆる 誘惑が手招きしている・・・

ずぅ~と 6号線と常磐自動車道が 並走している・・・

もう 乗ってしまったら 広島まで 降りることは無い・・・

旅も終わりになる・・・ 分かってる・・・

しんどいよぉ~・・

そんなことを考えながら・・・ 誘惑に負けず ひたすら 南下・・・

そうだ! 温泉が有ったら 入ろう!

など 考え中ら走っていたら、ついに 茨城県に入った。

東京に近づくにつれ、だんだんと活気が出てきているのが分かる。

そして、海沿いを走っているのだが、 これと言って 津波の被害を見ることは無かった。
海沿いでも、家が しっかりと立っている。

見えないだけで、 被害に遭っているのかもしれない・・・

そう考えながら、日立市に入った。

温泉と言う看板が有る!

そういや、今日は、ひたすら走っている。 かなり体も疲れている・・・

温泉で、体を 休めよう・・・

と この温泉施設に 足を踏み入れた・・・

例によって、温泉セットをバイクから出し、玄関を 入る・・・ が・・ なんだか 嫌な予感が・・・

どこにも入浴料が書いていないのだ・・・

不安になって、カウンターの店員に聞いてみた。

すみません 入浴料いくらですか?

確か2千円を超えていたような・・・

あまりの高さに 記憶が無いが、 気づいた時には、入浴せずに外に出ていた。

こんな高いところ 入れるかい!!

また バイクにまたがって 走り出す・・・

正直 もう 燃え尽きている・・・ 走る目的も無い・・・ 

コンビニに立ち寄る・・・ そして、おむすびとお茶を買う
人目が届かないところに 移動して、おむすびとお茶を食べる・・・

そして、今は 仕事をしているであろう 嫁に電話する・・・

「もう 無理や・・・」

「ほな 帰っておいでぇ」 と一言

まぁ 嫁から こういわれると 結構楽なもんで 次のインターから高速に乗ることにした。

この時、16時位かな・・・

水戸インターから 高速に乗った。

ココからは、ひたすら 高速で、帰るだけ。

実は、東京で、一つ仕事があって、川崎のオフィスで 一泊しようかと思ったんだけど

もう 中途半端に止まってしまうと ただ疲れるだけのような気がしたので、
スケジュールを変更して、広島まで高速を降りずに帰ることにした。
と言っても 1000kmの道のりだ・・・ 

日も沈みかけたころ、首都高入った。
東京スカイツリーが見えてくる・・・

が・・・ 全然 大きくなってこない・・・
すでに スカイツリーを発見してから 1時間近く走ってるが、 大きさが変わらない・・・

首都高名物の渋滞にはまってしまった・・・

これも、長旅の体には とても応える・・・・

東京を越えて、東名(東名川崎)に入るまで、4時間もかかってしまった。
もう 12時も超えそうな勢いだった。

東名に入ると、車の流れも順調で 常時100km位で走行
そして、新東名に入る。
清水SAで、一晩 明かそうと 隠れたところに テントを張るも どうも 落ち着かない・・・
何故なら、綺麗な芝生で、柵までしていたから・・・ ひょっとしたら 怒られるんじゃないかと・・・

テントの中で 考える事30分 やっぱここにテントを張るのを止めよう・・
とテントを畳む。

しかし、これでは 体が持たない 少し寝なければ・・・
こんな、滅茶苦茶な体の使い方は、事故の元だ・・・

どうしよう・・・ でも テントを張る所が無い・・・



・・・・ 駐輪場の一番端にバイクを止め、その下にシートをひいて仮眠・・・

1時間ほど 仮眠しただろうか・・・ 運よく 人も来なかったようだが・・・ とんでもない所で寝てた・・・

ただ、少し寝ると 元気になって・・・ もう寝れなくなる・・・ 

深夜2時の事だ・・・

距離 のばすか・・・ どうせ シートを畳むだけだし・・・

と また 高速道路を走り出す・・・

深夜の高速道路・・・・ 車もあまりいないし、 眠たくなると言われている新東名だ・・・

走り出したら また すぐ眠たくなった・・・ こりゃダメだ・・・

またすぐの掛川PAに入る・・・

もう、テントも張る場所も無い
新しい高速なのだからだろうか・・ なんか そう言う雰囲気を持っている。

もう、どうでもいいよ! 寝る!!

芝生を見つけて、そこにシートをひいて、夜空を見ながら野宿決定!

人生で初めて、外で寝たわ・・・

気づいたら 日が昇ってた。
時計を見たら、5時過ぎていた。

人間、窮地に立たされると なんでもできるもんだなぁ・・ と 思った。

結局トータル4時間くらい寝ていたので、 体も 少し楽になっていた。

さぁ どんどん帰ろう!

新東名も終わり、伊勢湾岸自動車道に入る。

走っていると、前の方に どす黒い雲が見える。

明らかにゲリラ豪雨だ・・・

これに 突っ込む前に、備えないと・・・・ 備えないと・・・・ 備えないと・・・・

ってか PA がないぃ~~~!!

どっしゃぁ~!!!

ビチョビチョになりながら、湾岸長島PAによる すぐ隣がナガシマスーパーランドっていう遊園地がある。

そんなこんなで・・・ ズルズルと書いてきたが・・・

新名神を通って、京都、大阪を通過し ついに 広島まで戻ってきた。

1行で書いたけど ここまで実に7時間かかっている・・・

最後・・・ この休憩でおしまいと言うのが、福山SAだった・・・

20年前くらい前のGSX-R1100が停まっている・・・
名古屋ナンバーだ・・・

年齢は二十歳くらい・・・ わかいなぁ・・・

どこ行くん? って聞くと 宛てはありません・・・ 行けるところまで行きます。 と言う・・

変わったやつやなぁ・・・

名古屋っていう事は、ゲリラ豪雨に遭ったでしょ・・

え? 知りませんよ・・・ 何時位ですか?

そうだなぁ 10時位かな・・・ と答えると
若者は、 あぁ・・ その時間 まだ寝てました・・・


はぁ? じゃぁ なんんでこの時間に ここに居れるの??

えぇ・・ それは 秘密です・・・

そんな、会話をしながら、 僕が、呉と言う地域を薦めると
じゃぁ そこに行ってみます! 潜水艦見てきます 軍艦カレーとお好み焼き食べてきます。 と いい音させて先にSAを飛び出していった。

まぁ なんというか 若いね・・・(^^;

若者が飛び出して行ってから 2~3分後 僕も福山SAを出た。

普通に100km位のスピードで走行車線を走行・・・
すると、前の方に遅い車の列が・・・

アクセルを回し、110kmまで加速して追い越し車線に・・・
順調に走行車線の車を抜いていると めっちゃ飛ばしてくる車が・・・
レガシーだ・・・ 140km以上出ている・・・
このまま 走行車線に戻るのも危険だし、加速してやり過ごすことにした
ふと、前乗っていた250ccスクーターの事を思い出す。
あのバイクは130kmなった瞬間 プーリーが吹っ飛んで、レッカーを余儀なくされた記憶が有る。

でも 今乗っているNC700Xは 大型だし 高速走行も得意だ。
一気に130kmまで加速する・・・・・ !!!??
どんどん レガシーが詰めてくる!!!
えぇ~!! 6速フルスロットルで引っ張るが、まだまだ詰まってくる。
バイクの加速についてくるというか、それ以上に踏んできている。

っていうか なんだ この乱暴な運転は!! 
こういう時、隼とかZZRだったらブッチぎれるんだろうなぁ・・・ と思いきや

僕は、もういい大人なので、 そんなに死に急ぎたくもないし、
どうぞどうぞと、走行車線の間に入れてもらった。

あざ笑うかのように、爆音を立ててレガシーが走り去っていく・・・

このやろぉ~・・・

と思っていたら、今度は、後ろの方から バイクが これまたとんでもないスピードで走ってくるのがバックミラーで見える・・・

うわぁ・・・ これ どんだけでてるんやろうか・・・ と言う勢い・・・ 間違いなく 200kmは超えている・・・

一瞬のうちに僕に追いつき そして追い抜いて行く!

走り去っていくバイクをよく見ると、左手で親指を立てながら走っている。

さっきの若者だ!! 途中のPAにでも寄っていたのか・・・

そして、あっという間にレガシーに追いつき レガシーをあおっていた・・・。

どうやってもGSX-R1100には勝てんわ・・・ 300km近く出るバイクやし・・・

こわぁ~・・(^^;



さぁ そんな 物語も終盤、
なんと 最後 5日前に入ってきたインター 志和に到着するころには、雨が降っていた。

普通なら、カッパに着替えるが、 もう 数キロで家に到着・・・

長い長い旅だった。
4泊5日 トータル3500km 使用燃料120リットル



まとめ・・・
この度で、何を学んだか・・・ 自分の何が変わったか・・・

被災地から 帰ってきて、 色々な人と話をしてきた、仕事柄、経営者と会う機会も多い。
経営者であれば、僕は、次のとこと伝えている。

社員を被災地に送り込むのは”あり”と言う事
ボランティアでも研修でも何でもいい
短期間でもいい。

夢や目標を失いつつある「若者」は特に行った方が良いと思った。

何故か・・・

それは、被災地にいる人々 全員が「生きる」という目標を目のあたりにすることができる。
そして、僕たちみたいに、被災地を周ったり、ボランティアをしている方々。
この人たちも、必ず目的を持って動いている。
そして、目的を持っていれば、その目的を持つ者同士でイノベーションが起こる。

これば、ものすごく自分の中で意義が大きい
目的を持つことの意味を理解できる

私はこの旅を通じて学んだことだ

しかし、これは、時間が経てば経つほど 東北で感じることができなくなる。

今日は、2012年12月22日 東北に行ったのが、9月初旬
すでに、4回目に紹介した体育館などは撤去されさら地になっているとニュースステーションでやっていた。

自分の目で見て、インスピレーションを受けた所が消えてしまった事は残念だ。

今からも そうやって どんどん 「感じる所」が消えていってしまうのだ。

仕方のない事だが、


僕は、この旅できっと・・
会社の経営に対する考え方が変わっただろう。

一番大きいのは、子供を一人前に育て上げる 一つの親としてのアイテムになっていると感じている。

更に、この総まとめを書いていた上で 気づいたことが有った。

やっぱり 仕事より 子供の方が大事なんだ・・・ ということを・


-おしまい-

2012年12月21日金曜日

NC700Xで行く被災地回り⑩ 「もしも僕一人の世界だったら」in福島

人材育成基盤構築プロデューサー 小林です
どんどん、書きます。 とにかく 今年中に終わりたい。
そして、次、仕事の本を書きたい これを終わらせないと書けない。
しかし、この東北被災地周りの旅も なんと 10話目… 一冊の本になるんじゃないだろうか・・・
これが、 実は 仕事の本を書くことへの自信にもつながっている。
やれば、できるんだ。 そう言えるためには、やはり 最後まで書かないと…

現在の場所は、福島県 相馬市だ。 6号線沿いの道の駅にいる。
道の駅の こんな場所にテントを張って寝た。

もう こうなったら どこでも寝れるわ。


今日も、良い天気。 朝食に、前の日にとんかつ屋で頂いたキュウリを食す。
味噌をつけて食べるのだが、 なんと メチャメチャシャキシャキしていて美味しい!!
朝から 3本ペロリと平らげた。

さぁ 今日も がんばって走ろう!!

7時ころ、原発向けて6号線を南下する。

だんだん、車が減ってくる。

しまいにゃ 前も後ろも 全く車がいなくなった。

国道なのによ・・・ !?

めちゃめちゃ 気持ち悪い・・・ なんだ この異様な雰囲気は・・・

ものすごく ゆっくり国道を走ってみる・・・

700㏄のバイクなのに 自転車に抜かれるくらいに・・・・

しばらく走っても 後続車一台も来ない・・・

うわぁ・・・ と思っていたら いきなり

「パァーン!」と音がして 何か後ろの方に吹っ飛んだ!

なんだなんだ! と思っていたら、ハンドルに張り付けてあったGALAXY noteが無くなっている!!!

よく見ると、液晶本体は、充電ケーブルにつながれ プラーン ってぶら下がり
中身の電池が 道路に投げ出されている!

うわぁ!! すぐ 道路わきに バイクを止める。
そして、外れた電池を 取りに行くのだが・・・・

やっぱり 車が来ない・・・

もし、普通の道路なら 取りに行くのも かなり危険な感じだったのだが…

あたりを見渡してみると そこは、すでに 人の気配が無いのだ・・・ 建物は有るんだけど・・・

なんか、スゴイ 不思議な感じだ・・・

とにかく、行けるところまで、行ってみよう!

と また バイクを走らせる・・・・

そして しばらく走っていると・・・・

ついに、立ち入り禁止場所まで来てしまった。

警察官が、大きく × とジェスチャーしている。


道も ここまでか・・・
本当だったら、このまま6号線でいわき市まで抜けれるのだが・・・

仕方なく 引き返す。
そして、海の方へ行ってみる。

すると こんな状態だった
映像でどうぞ…
検問から海の方までの走行を映像で見れます


なんかねぇ・・・ なんて表現したらいいのか・・・・

ナンにもない!!


バイクを降りて、少し歩いてみる・・・
すると、車に貝がへばりついている。
まるで、海に沈んだ車のようだ。



四方1km 僕以外 誰もいないようだ・・・

めちゃめちゃ大きい声で、「お~~~~~~~~~~い!!!」

と叫んでみる。。。

何にも聞こえない・・・ 

広島に帰ってからgooglemapで調べてみたんだが、
本当に最近まで ここは海の中に沈んでいたらしい。
証拠に、僕が立っているところの衛星写真は海になっている


急遽経てた電信柱だろうか・・・
こんな張り紙が貼られている


海から離れ、常磐線 小高駅の方に行ってみる。

駅前の高架から撮影した写真だ。
電車が通っていないので、線路すらわからないくらい 草が生い茂っている


駅前通りに出てきた。
店や家が沢山 立ち並んでいる・・・・

でも やっぱり 人がいない・・・・

僕は、この状態を 聞かれた人に いつもこういう風に説明する

ドラえもんの「もしもボックス」で もしも僕一人の世界だったら! と言う お願いが 実現したかのような世界。

本当に恐ろしい。

本当に街が死んでいる・・・

なんて 表現したらいいんだろうか・・・ この世界は 行かないと分からないよ 本当に・・・



今まで、陸前高田から南下し、気仙沼、石巻、仙台 と来たが
まったくもって、被災の内容が違う・・・

見えない恐ろしさを感じた。




広島に帰ろう・・・

そう思った。

今から越えなければいけない 壮絶な道のりを ある程度 予測できたのだ・・・
6号線が使えない・・・
と言うことは、福島原子力発電所を囲うように遠回りしていわき市まで出なければいけないのだ・・・

本当に 本当に この道のりは しんどかった!!

ほっそい国道と県道 そして峠道を ひたすら走らなければいけないのだ・・・

シフトチェンジの回数も多くなるし、クラッチもそのたびに握る
ギアダウンする時は、一瞬回転数を上げる動作をアクセルでコントロールしているのだが
実は、旅立つ2週間前に 右手首 折っていたので・・(^^;
めちゃめちゃ 手首痛いし 下り坂になると 体重もかかるし・・・

更に そんななか 走っていると こっから封鎖です! と検問で引き返されたり・・・

なんだかんだで、4時間くらい、山の中をさまよって・・・・

走行距離は それだけで200km位 走っているんじゃないかな・・・

本当に燃費の良いバイクでよかったよ・・・ ガススタにも人いないし・・・

話に聞くと、ガス欠する人も何人かいるらしい・・・

でも 基本 昼間しか 入る事の出来ない場所なので、 ガス欠で止まったりしたら 大変だ!

そして、もう一つ 走行中に気づいたこと・・・

とにかく 警察車両の巡回が多い! いわき市に抜けるまでに20台近くのパトカーとすれ違った。

いわき市に入り、人を見つけたとき 本当にうれしかった!!

2012年12月20日木曜日

NC700Xで行く被災地回り⑨ 「反対ばかりしていると いつか見捨てられるよ」in相馬

人材育成基盤構築プロデューサー 小林です

今日は、2連続でアップです。
前回の石巻を後にする
次の目的地は、仙台…
が、正直 体がクタクタ状態…
その状態で、仙台市内を通過しなければいけない。

今まで、信号も少なく、車量もあまりなかったので
ほとんど停止することも無く、走行できた  が・・

こうも信号停止、渋滞に巻き込まれると どんどん体力を消耗していく
おまけに、ここでもナビゲーションを頼りにしなければどっちに向いて走っているかわからない状態…
充電池もスレスレ、カスカスの状態で 何とか仙台を通過

途中、被災に遭った仙台空港も見たかったが、 ごめん… 今回は 距離を伸ばすことにした。

とにかく、福島に入らなければ…

その一心だった。

6号線をひたすら南下し、福島を目指す。

日も暮れかかった頃

宮城県と福島県の県境あたりに入った。

左に海が見えるが、やはり被災に遭っており、ところどころに 線路の跡みたいなものが見える。

そう言えば、この辺ではなかろうか…

電車に警察官2人乗り合わせて 全員を無事 避難させたという場所…

少し 寄り道をすることにした。 海岸沿いにバイクを進めてみる。

★072
橋が津波で吹き飛ばされている…

どうも、このあたりに常磐線 新地駅 と、例の警察官が乗っていた停止電車が有るはずなのだが・・・
駅すら流されて どこにあったかわからない。 でも GPSはこの場所を指している。
★073

橋が架かっていたであろう場所にバイクを止めて、しばらく海を眺めた。

今は、穏やかな海だが・・・

ふと、海岸沿いに目をやると 人がいる。

そう言えば、僕のすぐ近くにも 車が止まっている。 人はいるようだ。

地元広島でも海が有り、カップルで来ているのをよく 見かけるが…

なんか そうとは違う雰囲気を出している。

なんだか とても寂しそうに佇んでいる。
★74

僕もしばらく ここで海の音を聞いていた。


本当に日が暮れてきた。
おなかもすいてきた。

そうだ 本当にさっき とんかつ屋さんが有ったので そこに行く事にした。

海から数百メートルしか離れていないところなのに
よく助かったなぁ と思った店だった。

中に入ると 当然だけど・・・ 誰もいなかった…
でも 店主がスゴイ サッカーファン と言うのだけは分かる
いたるところにベガルタ仙台のポスターやらユニフォームが飾られている。

とりあえず、テーブルに落ち着き、とんかつ定食を注文する。

そうこうしているうちに、店主のお母さんが 店に帰ってきた。

話しかけられる。
店の前に、大きいバイクが止まっていたけど あなたのぉ~? っとこんな感じ・・

あ・・ じゃまでしたか? と答えると

イヤイヤ いいんよぉ~ どこからきたぁん? と尋ねられる。

広島から 来ました。 と答えると 会話は予想外の方向へ・・・

ウワ! サンフレッチェ!

サッカーかよ!!

丁度その時、優勝接戦でサンフレッチェかベガルタと言う時期だったのだ。

先日、サンフレッチェがJ1優勝を決めたが、と同時に このとんかつ屋さんの悔しい表情も目に浮かぶ・・・

さてさて、問題は、これから どうやって福島県を通過するかだ。
福島原発付近は、封鎖されて通ることができない。
どこまで近づけるか・・・

とその前に、頭の中では、どうせ入れないのだから もう高速に乗って東京に向かっても良いのではないか
そう考えるようになっていた。

完全に、気持ちが疲れている・・・

地図を広げ どうしようか、それに 寝床も決めなければいけない。

おいしいとんかつを食べながら、地図を広げていると
店主とお母さんが寄ってきて、封鎖箇所の説明をしてくれた。

6号線の南相馬あたりまで行ける。 でもここまで行ってしまったら 迂回ルートの115号線で福島市街に出るのが困難に
何処で寝るの? 道の駅? 相馬に一か所道の駅が有るよ っていうか、この店の中で寝なよ 

と言われたが、そこで断ってしまうのが僕・・・ 甘えていればよかったかな…

とりあえず、道の駅まで行って考えることにした。

このとんかつ屋、もう数百メートル先は、福島県となる
原発の影響も受けている。
津波で、店の半分が水没したと言うが、なんとか再開までこぎつけ
そして放射能。

きっと、怒っているんだろうな・・・ と思ったが、
当の本人たちは、怒ってばっかりでどうするの?
怒って、反対ばっかりして・・・ そんなんじゃ、いつか見捨てられるよ。
共生していく それが日本人ジャン! と

なんて、心が大きい人なんだ

いろいろ話をしていたら、野菜の仕入れ屋さんが入ってきた。
色々な新鮮野菜。 そして福島産

お母さんが、これ旅路でたべな。 とキュウリ3本と味噌 そしてエビせんを袋に入れてくれた。

嬉しい! ありがとう!

このとんかつ屋



とんかつ屋から20kmほど走った所に、道の駅が有った。
一端、この場所にバイクを止めて、コーヒーを飲みながら、どっちの方向に向かおうか考えることにした。
パソコンをバイクの電源につなぎ、溜まっていたメールの返信をする。

周りを見ると 結構車中泊している人 更に、自転車で来たのか、ベンチで夜が明けるのを待っている人がチラホラ・・・

南三陸の道の駅とは、どうやら様子が違うことに気づく。

この自転車の人、被災地を回っているのであれば もっと荷物が有るはず なのに 荷物は無い・・・

どういう事なんだろうか

実は、この先 住居制限区域であるため 日中しか立ち入ることができないのだ。
だから、夜は、ここで夜を明かす人が多いのだ。

どうしようかなぁ・・・ このまま 福島市内に入って 高速乗って、SAでテントをはるか・・・ 
ここで、テントを張って 原発付近まで近づいてみるか・・・

気持ちは、すでに 帰り方面に向かっている。

こういう疲れているときは、人間弱いモノである。

福島市内 高速に行こう! もう 帰ろう! と考えた その瞬間だった。

一人のおじさんが 近づいてきた。

何処から来たの? ナンバー 広島だけど… と・・・

今までの事をお話しした。

おじさんは、奥さんと一緒に 車で友人を待ってい途中のようだ。

事の始終、今からの判断を お話しすると
おじさんが、一言 僕に語りかける。

「街が死ぬって分かる?」と

????

家は、人が住んでいないと死んでしまう とよく聞く。
でも 街が死ぬって・・・

一つ一つの家が死んで、そして 街が死ぬんよ・・・

もし、時間に余裕が有るのなら、常磐線 小高駅の方まで行ってきて見てきてほしい。 そこまでなら入れるから。 と・・・

今までは、津波の話が主だったが、 ここにきて 初めて原発の話を聞くことになる。
この話は、さすがに このブログではできない。 僕が自分の目で見た情報ではないので確証が無いのだ。

でも おじさんが言う。
この道の駅もおかしいと思わない?

まぁ 自転車の人が点々といるのはおかしいと思ったが・・・

よく考えると、建屋の中は、すべて鍵がかけられているのだ。
普通の道の駅では、共有スペースは空いている。

おじさん曰く あまりにも窃盗が多くて 夜間は建屋内閉鎖に踏み切ったとのこと。

悲しい事だけど、死んだ街を良い事に窃盗が頻発しており 頑丈にバリケードしても 壊して中に入られ物色している輩がいるという。

おじさんと このような話をしたことで、自分の腹が決まった。

明日は、ここから出発して 原発を目指そう!

2012年12月19日水曜日

NC700Xで行く被災地回り⑧ 「人は簡単に裏切れる」in石巻

うわぁ~・・ また一か月空いた… 
やっと石巻の事を書くのに、何とか今年中に広島に帰りたい…

では、さっそく続きを…
前回は、南三陸町を訪れ、近くの道の駅から南下する所だ。

次の目的地は、石巻!
ここも、甚大な被害にあった所だ。
川沿いをひたすら南下する。

思えば広島を出発してから3日間 風呂に入っていない…
雨に打たれ、排ガスを浴び、残暑の熱い熱気とバイクの熱気で汗も出る
服の着替えは何着か持ち合わせているが、
さすがに臭いが気になる…
ひょっとしたら、道中 可愛い女の子と出会えるかもしれないじゃないか!
そん時 臭かったら話にならん!!

とにかく 風呂を探そう!

以前紹介した大学生にも銭湯の場所を教えてもらっていたが
なりふり構っていられない。

途中、コンビニでおにぎりと缶コーヒーを購入。
ナニ? 東北の方のコンビニには、コンビニの中にカウンター席が有るの?
中のカウンター席で外を見ながら朝食を取る。

コンビニ内でBGMがかかっているのだが、サザンのツナミ…

うぅ~ん… なんか 複雑…
桑田さん本人も 二度と歌わない とか 言っていたような…

良い歌なんだけど やっぱりね…

さて、再び バイクにまたがり風呂を目指して南下
コンビニから少し走ると すぐに大きなスーパー銭湯が出現した。
道の駅と併設されている。
 

メチャメチャ駐車場も大きいので、車をおくスペースに ドカンとバイクを止めさせてもらった
理由は、テントを干すため。

ここまでで、2回 テントを利用し、毎朝 朝露がついていたのだ。
毎度、寝る時 気持ち悪いので 今日は晴れているし 干すことに。

テントを干した状態で、入浴セットを持って、いざ入館!

600円でかなりお得感 施設としては、まぁ 普通… でも 3日ぶりだよ
いい湯であった。

と言っても 風呂での出来事 それほど書くことも無い…

しれっと上がり、ホール近くに行くと
医療用マッサージ器の体験スペースが出ていた。
営業の人が、必死にお客様に説明している。

あぁ マッサージしたいなぁ ずぅ~とバイク載って 同じ姿勢で
お尻や背中も痛いし…
営業の言葉も空返事しておけばいい事だし…
体験スペースに足を踏み入れた。
すると、案の定 営業の人が近寄ってきて、機械の使い方の説明をしだした。
機械が動き出す。 
メチャメチャ気持ちいい。 寝てしまいそうだ。
と、営業の人が話しかけてくると思いきや 黙っている。
しばらく、心地よく マッサージされていると
営業の人が口を開く
「お疲れですか?」
そうです! メチャメチャ疲れています! 広島からバイクで来たんです。
そう答えると もう話は止まらなくなる。

結局、マッサージを2回 おまけしてもらって その間40分くらいこの旅の事を営業の人と話した。

まぁ これも結果オーライだな…(^^;

体もリフレッシュして
さぁ、併設されている道の駅でお土産を買うことにした。
ここで、近所の人の土産 すべて買っていこう!

購入したものは、20枚入りせんべい(石巻産)3セット 特選吟醸醤油(仙台産)これめっちゃうまかった
これに、気仙沼ふかひれレトルトスープ 5袋 こんなもんか 
なんせ、バイクだからお土産もあまり入らない…

さてさて、ここの道の駅に到着して2時間ほど経過しているのではないだろうか…
そろそろ石巻被災地に向かわなければ…
とバイクに帰る。

隣に和泉ナンバーのアルファロメオが停まっていたのは分かっていたけど
何やら外に出て、荷物の整理をしている。
僕が、温泉に到着した時には、車の中で寝ていた。
どうも、その方も 僕の事が気になるようで
お互いに、あいさつを交わした。
僕は、1週間かけて東北を周っていることを話した。
アルファのお兄さんは、石巻でボランティア活動の帰りと言う事らしい
そろそろ大阪に帰る とのこと
そこでまた、石巻の現状と ボランティア活動の現状を話をした。

石巻での被災でよく知られているのは、大川小学校の小学生が犠牲になったという事だ
アルファのお兄さんは、自分の目で周りを見て初めて 逃げ場が無いことが理解できる と話していた。

政治家や学者や被災地外の人は、見もせず あれが悪かっただの、これが悪かっただの 何故このように判断でき無かったのかと
勝手なことを言うが、現場に立つと 逃げ場が無いことを思い知らされる。 勝手なことを言うヤツラに憤りを感じる
と言う。

そう言う話を また1時間くらい話、僕は、テントを畳みながら 次なるコースをたどる準備にかかる。

石巻市内に入った。
なんだ… わりと普通じゃん… 
駅前の商店街には、ロボコン等のフィギアが通りで出迎えてくれる。
その商店街を通り越、海沿いの方へ出ると

あ・・・

また 開けた場所に出る。

がれきも撤去され、道とさら地 たまに津波にさらわれなかった建物が点々と立っている。
一際目立つのが石巻市立門脇小学校だ。
校舎の半分 焼けたような跡がある この校舎では死者はいないが、その周辺で何人もの命が失われたという

バイクを止めて、校舎を眺める。
ここは、もう 運動場から立ち入りが禁止になっている。

でも よく見ると 人が何人か 校舎の中に入っている。

陸前高田の時もそうだったが、立ち入り禁止の中を 堂々と入っている気がしれない。

そんなことを感じながら、周りに目をやると
なんだか派手な自転車に乗った若い女性二人が、
空き地で車を止めていたオジサンに声をかけられていた。

内容は、よく聞こえないが、
どうも、被災の事が聞けるような雰囲気だった。

語りの方か、なにかグッズを販売しているのか…

とにかく 僕も行ってみよう。

で、僕もバイクでそこの輪の中に入ることにした。

ここでは、僕は衝撃的な話を聞くことになる。

オジサンは、フリーカメラマンで 名前は阿部 美津夫さん

現在、カメラで被災地の現状を発信しながら、各地で被災地の語りも行う

普通ならこのような辛い事は、僕も聞いても書けないんだけど
阿部さん自身、自分の被災経験を知ってほしいと 訴えているため
私も阿部さんとお話しした内容を 包み隠さずココで紹介したいと思う。

阿部さんは、石巻で津波に遭遇した。
奥さんと高台に逃げたが、二人の孫が通う小学校に娘さんが迎えに行ったまま、行方不明となった。
震災3日後、自宅近くで 車の中で亡くなっている二人の孫と娘さんを発見したとのこと。




新聞でも取り上げられています





僕は、被災地に入ってから 沢山の方と話をしたが
被災で身内が亡くなった と言う話は、初めてだった。

今、思うが、 そう言う辛い過去は、みんな話したがらない そう思う。

ただ 阿部さんは違った。
今、自分が生きているのは 何故か… 自分に何ができるか そう考えているらしい

阿部さんの一言一言が、とても重たい。

そして、私たちに語りかける。 人間の意味を

そこらへんの軽い言葉じゃない。

一番印象に残った言葉は

「人は簡単に裏切れる」

これは、すごいインパクトだった。

仲良くしてくれる人、助けてあげるよ と言ってくれていた人たちが
こういう事態になって、頼りに行っても 簡単に裏切られたとか…

とにかく、最後まで、震災の恐ろしさと、人間の恐ろしさを語っていた。
そして、これから 人を続けていくための「心構え」を説と語ってくれた。

この阿部さんの話、とにかくインパクト 大きいです。
こうやって、オープンに語ってくれる方も少ないです。
阿部さん自身、色々なところで語らなければならないと言っております。

私自身、あの出会い以来 阿部さんから「広島のボス」と言われており
僕も講演を手掛けていることもあり、講演で意思を伝えると言う所で連絡を取り合っております。
本当に良い話が聞けます。 
是非、阿部さんを紹介させていただきたい。 私の方の連絡でも構いません。

となんだかんだで、阿部さんの紹介でしたが、
その時、すでに 周りに 最初の女性2人 そして僕 更に京大学生の川西君が一人入っていた。
それぞれに、出身など話すると…
女性一人は、就職で広島行きます もう一人の女性は、東広島八本松に住んでいます 京大生川西君は実家広島です
そして僕…

阿部さんも 驚いてました。
ナニ このバラバラにココに来た4人 全員 広島つながり!? スゴイ偶然だね!!

と言うことで、広島つながり4人と 記念撮影することにした。


とくにfacebookでもお友達になってくれたさかもとさん
八本松って・・・ しかも よくソレイユ遊びに行きます とか…

石巻まで来て、偶然出会った人とソレイユの話が分かるとは… なんか 面白い!

また、広島メンバー 集まって 飲み会しよう! と約束した。


阿部さん、広島同盟会 解散際 なんか 面白い人がいた。
派手な車 と言っても 普通の乗用車に 色々な飾りつけをして
それに乗っている本人も 防災服を着ているのだが、なんか ちょっと 雰囲気が変…
少し、話しかけられたが、先も進まなければならないし
欠けた歯が印章的だった。

石巻から見たガレキの山
 



がんばろう 石巻の横に 少し高い看板が有るのがおわかりだろうか
人と一緒に撮影しているから分かるだろうが、これだけの高さの津波が押し寄せてきたことを表す

元々 水泳をしていたこともあって、飛び込み台用のプールの底を泳いだことが有るけど
その時の水面の高さを思い出した。 あの体、耳が水圧で締めつけられるほどの力が
ドン と来たのだ。