2012年12月22日土曜日

NC700Xで行く被災地回り⑪ 「夢、目標とは何か」in広島 最終回

今日で、 被災地廻りの旅も最終回になるだろう・・・
僕の旅は、いつもこんなもんだ・・・ 出だしは元気、 でも すぐ帰りたくなる…

福島原発も回避して いわき市へ出た。

本来は、いわき市からも 下道でどんどん 東京まで行く予定だった。 
でも これは、行に考えていたルート・・・

現実的には、こうそくを乗ってしまえば、楽に東京まで帰れる 

下道を ずんずん 南下するが、 高速道路の看板 いわゆる 誘惑が手招きしている・・・

ずぅ~と 6号線と常磐自動車道が 並走している・・・

もう 乗ってしまったら 広島まで 降りることは無い・・・

旅も終わりになる・・・ 分かってる・・・

しんどいよぉ~・・

そんなことを考えながら・・・ 誘惑に負けず ひたすら 南下・・・

そうだ! 温泉が有ったら 入ろう!

など 考え中ら走っていたら、ついに 茨城県に入った。

東京に近づくにつれ、だんだんと活気が出てきているのが分かる。

そして、海沿いを走っているのだが、 これと言って 津波の被害を見ることは無かった。
海沿いでも、家が しっかりと立っている。

見えないだけで、 被害に遭っているのかもしれない・・・

そう考えながら、日立市に入った。

温泉と言う看板が有る!

そういや、今日は、ひたすら走っている。 かなり体も疲れている・・・

温泉で、体を 休めよう・・・

と この温泉施設に 足を踏み入れた・・・

例によって、温泉セットをバイクから出し、玄関を 入る・・・ が・・ なんだか 嫌な予感が・・・

どこにも入浴料が書いていないのだ・・・

不安になって、カウンターの店員に聞いてみた。

すみません 入浴料いくらですか?

確か2千円を超えていたような・・・

あまりの高さに 記憶が無いが、 気づいた時には、入浴せずに外に出ていた。

こんな高いところ 入れるかい!!

また バイクにまたがって 走り出す・・・

正直 もう 燃え尽きている・・・ 走る目的も無い・・・ 

コンビニに立ち寄る・・・ そして、おむすびとお茶を買う
人目が届かないところに 移動して、おむすびとお茶を食べる・・・

そして、今は 仕事をしているであろう 嫁に電話する・・・

「もう 無理や・・・」

「ほな 帰っておいでぇ」 と一言

まぁ 嫁から こういわれると 結構楽なもんで 次のインターから高速に乗ることにした。

この時、16時位かな・・・

水戸インターから 高速に乗った。

ココからは、ひたすら 高速で、帰るだけ。

実は、東京で、一つ仕事があって、川崎のオフィスで 一泊しようかと思ったんだけど

もう 中途半端に止まってしまうと ただ疲れるだけのような気がしたので、
スケジュールを変更して、広島まで高速を降りずに帰ることにした。
と言っても 1000kmの道のりだ・・・ 

日も沈みかけたころ、首都高入った。
東京スカイツリーが見えてくる・・・

が・・・ 全然 大きくなってこない・・・
すでに スカイツリーを発見してから 1時間近く走ってるが、 大きさが変わらない・・・

首都高名物の渋滞にはまってしまった・・・

これも、長旅の体には とても応える・・・・

東京を越えて、東名(東名川崎)に入るまで、4時間もかかってしまった。
もう 12時も超えそうな勢いだった。

東名に入ると、車の流れも順調で 常時100km位で走行
そして、新東名に入る。
清水SAで、一晩 明かそうと 隠れたところに テントを張るも どうも 落ち着かない・・・
何故なら、綺麗な芝生で、柵までしていたから・・・ ひょっとしたら 怒られるんじゃないかと・・・

テントの中で 考える事30分 やっぱここにテントを張るのを止めよう・・
とテントを畳む。

しかし、これでは 体が持たない 少し寝なければ・・・
こんな、滅茶苦茶な体の使い方は、事故の元だ・・・

どうしよう・・・ でも テントを張る所が無い・・・



・・・・ 駐輪場の一番端にバイクを止め、その下にシートをひいて仮眠・・・

1時間ほど 仮眠しただろうか・・・ 運よく 人も来なかったようだが・・・ とんでもない所で寝てた・・・

ただ、少し寝ると 元気になって・・・ もう寝れなくなる・・・ 

深夜2時の事だ・・・

距離 のばすか・・・ どうせ シートを畳むだけだし・・・

と また 高速道路を走り出す・・・

深夜の高速道路・・・・ 車もあまりいないし、 眠たくなると言われている新東名だ・・・

走り出したら また すぐ眠たくなった・・・ こりゃダメだ・・・

またすぐの掛川PAに入る・・・

もう、テントも張る場所も無い
新しい高速なのだからだろうか・・ なんか そう言う雰囲気を持っている。

もう、どうでもいいよ! 寝る!!

芝生を見つけて、そこにシートをひいて、夜空を見ながら野宿決定!

人生で初めて、外で寝たわ・・・

気づいたら 日が昇ってた。
時計を見たら、5時過ぎていた。

人間、窮地に立たされると なんでもできるもんだなぁ・・ と 思った。

結局トータル4時間くらい寝ていたので、 体も 少し楽になっていた。

さぁ どんどん帰ろう!

新東名も終わり、伊勢湾岸自動車道に入る。

走っていると、前の方に どす黒い雲が見える。

明らかにゲリラ豪雨だ・・・

これに 突っ込む前に、備えないと・・・・ 備えないと・・・・ 備えないと・・・・

ってか PA がないぃ~~~!!

どっしゃぁ~!!!

ビチョビチョになりながら、湾岸長島PAによる すぐ隣がナガシマスーパーランドっていう遊園地がある。

そんなこんなで・・・ ズルズルと書いてきたが・・・

新名神を通って、京都、大阪を通過し ついに 広島まで戻ってきた。

1行で書いたけど ここまで実に7時間かかっている・・・

最後・・・ この休憩でおしまいと言うのが、福山SAだった・・・

20年前くらい前のGSX-R1100が停まっている・・・
名古屋ナンバーだ・・・

年齢は二十歳くらい・・・ わかいなぁ・・・

どこ行くん? って聞くと 宛てはありません・・・ 行けるところまで行きます。 と言う・・

変わったやつやなぁ・・・

名古屋っていう事は、ゲリラ豪雨に遭ったでしょ・・

え? 知りませんよ・・・ 何時位ですか?

そうだなぁ 10時位かな・・・ と答えると
若者は、 あぁ・・ その時間 まだ寝てました・・・


はぁ? じゃぁ なんんでこの時間に ここに居れるの??

えぇ・・ それは 秘密です・・・

そんな、会話をしながら、 僕が、呉と言う地域を薦めると
じゃぁ そこに行ってみます! 潜水艦見てきます 軍艦カレーとお好み焼き食べてきます。 と いい音させて先にSAを飛び出していった。

まぁ なんというか 若いね・・・(^^;

若者が飛び出して行ってから 2~3分後 僕も福山SAを出た。

普通に100km位のスピードで走行車線を走行・・・
すると、前の方に遅い車の列が・・・

アクセルを回し、110kmまで加速して追い越し車線に・・・
順調に走行車線の車を抜いていると めっちゃ飛ばしてくる車が・・・
レガシーだ・・・ 140km以上出ている・・・
このまま 走行車線に戻るのも危険だし、加速してやり過ごすことにした
ふと、前乗っていた250ccスクーターの事を思い出す。
あのバイクは130kmなった瞬間 プーリーが吹っ飛んで、レッカーを余儀なくされた記憶が有る。

でも 今乗っているNC700Xは 大型だし 高速走行も得意だ。
一気に130kmまで加速する・・・・・ !!!??
どんどん レガシーが詰めてくる!!!
えぇ~!! 6速フルスロットルで引っ張るが、まだまだ詰まってくる。
バイクの加速についてくるというか、それ以上に踏んできている。

っていうか なんだ この乱暴な運転は!! 
こういう時、隼とかZZRだったらブッチぎれるんだろうなぁ・・・ と思いきや

僕は、もういい大人なので、 そんなに死に急ぎたくもないし、
どうぞどうぞと、走行車線の間に入れてもらった。

あざ笑うかのように、爆音を立ててレガシーが走り去っていく・・・

このやろぉ~・・・

と思っていたら、今度は、後ろの方から バイクが これまたとんでもないスピードで走ってくるのがバックミラーで見える・・・

うわぁ・・・ これ どんだけでてるんやろうか・・・ と言う勢い・・・ 間違いなく 200kmは超えている・・・

一瞬のうちに僕に追いつき そして追い抜いて行く!

走り去っていくバイクをよく見ると、左手で親指を立てながら走っている。

さっきの若者だ!! 途中のPAにでも寄っていたのか・・・

そして、あっという間にレガシーに追いつき レガシーをあおっていた・・・。

どうやってもGSX-R1100には勝てんわ・・・ 300km近く出るバイクやし・・・

こわぁ~・・(^^;



さぁ そんな 物語も終盤、
なんと 最後 5日前に入ってきたインター 志和に到着するころには、雨が降っていた。

普通なら、カッパに着替えるが、 もう 数キロで家に到着・・・

長い長い旅だった。
4泊5日 トータル3500km 使用燃料120リットル



まとめ・・・
この度で、何を学んだか・・・ 自分の何が変わったか・・・

被災地から 帰ってきて、 色々な人と話をしてきた、仕事柄、経営者と会う機会も多い。
経営者であれば、僕は、次のとこと伝えている。

社員を被災地に送り込むのは”あり”と言う事
ボランティアでも研修でも何でもいい
短期間でもいい。

夢や目標を失いつつある「若者」は特に行った方が良いと思った。

何故か・・・

それは、被災地にいる人々 全員が「生きる」という目標を目のあたりにすることができる。
そして、僕たちみたいに、被災地を周ったり、ボランティアをしている方々。
この人たちも、必ず目的を持って動いている。
そして、目的を持っていれば、その目的を持つ者同士でイノベーションが起こる。

これば、ものすごく自分の中で意義が大きい
目的を持つことの意味を理解できる

私はこの旅を通じて学んだことだ

しかし、これは、時間が経てば経つほど 東北で感じることができなくなる。

今日は、2012年12月22日 東北に行ったのが、9月初旬
すでに、4回目に紹介した体育館などは撤去されさら地になっているとニュースステーションでやっていた。

自分の目で見て、インスピレーションを受けた所が消えてしまった事は残念だ。

今からも そうやって どんどん 「感じる所」が消えていってしまうのだ。

仕方のない事だが、


僕は、この旅できっと・・
会社の経営に対する考え方が変わっただろう。

一番大きいのは、子供を一人前に育て上げる 一つの親としてのアイテムになっていると感じている。

更に、この総まとめを書いていた上で 気づいたことが有った。

やっぱり 仕事より 子供の方が大事なんだ・・・ ということを・


-おしまい-

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